かなり面白い作品。すごく面白い。
その理由はふたつある。
ひとつは私が今まで見た日本映画の法律を扱った作品で、最も法律監修がしっかりしていること。
もうひとつは、判事、判事補の言動が「いかにも」で何度も笑った。
彼らは子どもの頃から受験勉強をし、司法試験合格後は隔離生活をし、ほとんど一般常識を知らずに「大人」になる。だから映画の中で「法律だけにはめ込もうとしたら矛盾が出る。それを判例で埋め合わせようとする」という判例中心主義を批判する。
また裁判官になった後も出世競争が正義だから、「ひら目」(上しか見えない)になる。上司の世話でお見合いし、上司のために生きる。滑稽。
傍聴席に遺影を入れたいという遺族に、最初は禁じるのだが弁護士が部長と同期ときいて許可するあたりもそうだ。
法律、法曹界慣習を最大限に利用した大スペクタクルと言える。
重過失致死の判決で「主文を最後に」と裁判官が言ったので、すわ死刑か!そんな訳はない、これは楽屋オチか。裁判官が「法廷以外で人と話したことが無い」と言う。そのとおりと笑った。
判検交流のことも描かれていて、ソフトボール大会の後の飲み会で助言を受けて上司にビールを注ぎにいくサマも大笑い。そのソフトボール大会に仙波さんが出てきて、それも笑った。似合いすぎているのである。
重過失致死事件の検事が先輩だった裁判官だったり、被告弁護人(弁護人と言われるのは刑事事件だけ)も退官した先輩裁判官。このシチュエーションも面白かった。
銀行批判のシーンは体験がないと書けない内容だ。あまりにリアル。
法廷における婚約者のモノローグは良かった。
ラブストーリーなのだ。脚本がいいし、よく練れてる。
テーマのひとつが多忙さ。
裁判官一人が平均300の事件を抱えている。民事は双方の意見を聞くからそうでもないが、刑事は検察警察によりかかる。信じるなら被告より検察でしょ。そうやって300件を「解決」していく。だから冤罪が無くならない。
警察から言わせれば裁判官を騙すなんて簡単。
裁判官から言わせれば、素人の被告に騙されるのは許し難いが、検察に騙されるならままいいかとなる。だから起訴後の有罪率が99.9%。
かなりシリアスなシーンの連続なのだが、何度も笑ってしまった。裁判関係者も見に来ていると思う。
ラストシーンはセラミックで説得力を持たせたのかもしれないが無理がある。
ゼウスは「全能の神」の意味。
日本の裁判官は確かに「全能」である。求刑以上の刑だって出せちゃうし、自由心証主義という伝家の宝刀で、99.9%の人が「無罪」と思っても「有罪」にできる。
主人公は「(主権者である)市民がゼウスとなっていつかは(裁判官が)裁かれる」と言う。この言葉は人によってどう響くかまちまちだろう。
監督・脚本:高橋玄
法律監修:萩谷法律事務所
