戦死者、靖国、選挙 | leraのブログ

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戦死者、靖国、選挙



 NHKが広島原爆の日に放送した「あさイチ」のテーマは、「戦争を子どもにどうやって伝えるか」であった。その中で原爆の悲惨さを子どもに教えた時に「原爆を落とした人は悪い人なの」と聞かれ返答に困ったというケースが報告されていた。


 スタジオには「識者」もいたのだが、明確な「答えかた」は示されなかった。


 その理由はあまりに単純ではあるが、戦争の原因、戦争の責任を語らずに戦争の悲惨さは伝えられないということを示している。



 そして、戦争というものは国家の経済行為であり、被害を蒙るのは市民であるという事実である。国家間の問題ではなく、複数の国家と市民の間での問題だということを認識しないと論理の袋小路に入ってしまう。

 無差別に一般市民を標的にした大量破壊兵器である原爆を投下したアメリカ合州国の行為はあきらかに戦争犯罪である。真珠湾を騙し撃ちにした大日本帝国の行為は国際法違反行為である。中学生などの少年を勤労奉仕と称し兵器製造に従事させアメリカの無差別爆撃の口実とさせた日本帝国の国家・戦争指導者の責任は小さくない。


 つまり国家が「悪」なのである。


 8月15日の靖国神社周辺は一年でもっとも憂鬱になる日である。


 絶対に言葉で分かり合えないふたつの集団が対峙するからだ。一方は「戦死者を冒涜するな」と言い、もう一方は「戦死者を政治利用するな」と言う。この二つの意見は絶対に相容れない。なぜか?相容れないシステムの上に成立っているからだ。


 その土台のひとつが政治家の参拝である。


 ところがこれは政治家の信念による行為ではない。

 多くの政治家が票田である支持母体を持っていて、その多くが宗教団体である。その団体の意思で参拝したり、参拝を見送ったりするのである。



 選挙の度に投票率の低下を嘆く声がある。

 投票率が低くなるのは当然だと思われる。選挙システムというものは人を選ぶので、当選後その人が何を言い、何をし、どう考えるかの保証が全くないからだ。経済団体や労働団体や宗教団体の意向は聞く。つまり一般有権者はそれら圧力団体の「見返りの無い片棒」を担ぐだけなのだ。


 末広まき子議員の当選の時、選挙運動中の公約と正反対の政治的態度をとったために、運動を支持していた人達がその「詐欺」を訴えたが、支持者の敗訴に終った。判決では政治家は自由に思想を持つ権利があるとされた。この判決は選挙に対する刹那的な面を強調したとされる。


 ナチスドイツの強制収容所の所長や関係者の子孫がそこを訪問し、イスラエルからの来訪者と対談したり、和解したりということがあった。これができるのは、戦争の原因や責任を追及し真っ当な議論ができ、政治家の集票行動に利用されない市民感覚があるからだ。



 この国で、太平洋戦争の原因、責任を語れなければ全然前には進めない。それを隠蔽しようとする勢力の画策で、後ろへ戻るだけだ。

 靖国、選挙…分かっていて騙される人はいい、何かの恩恵があるのだろうから。分からずに騙されている市民ほど哀れなものはない。



 戦没者追悼式があった。

 東京大空襲で死んだ者たち、その他空襲で死んだ数多の人々、沖縄で亡くなった一般市民、それらの人々には恩給法、援護法で何の補償もされていない。つまり「追悼」されていない。



 また、死んだ兵士の中にはアイヌ民族や琉球の人々もいたし、五族協和・内鮮一体で兵士になった朝鮮半島出身者、台湾の原住民を含んだ人々、彼らに対する視点が無い。

 侵略の橋頭保に使われた満州へ送られた人々、そして中国やサハリンに残留を余儀なくされた人々、彼らに対する視点があるだろうか?


 嘘が多すぎる。嘘をついているのは誰?