言論、容易く弾圧されるもの
太平洋戦争の反省のひとつに言論の弾圧がある。
戦争反対の声を徹底的に潰したのだ。代表される事件として「横浜事件」がある。作家石川達三は『風にそよぐ葦』として書いている。
言論の弾圧は市民の弾圧に他ならない。
そして、国家というものが誤った道を歩んでいる証左でもある。
言論弾圧は身近に、そしていつでもある。
毎年8月15日に「平和遺族会」がデモンストレーションをやっていた。
安全性を確保できないという理由で昨年から行われていない。
もうデモンストレーションを自由にやれない、デモンストレーションの自由を守ろうとしない国になっているのだ。
松江市教育委員会は「はだしのゲン」を自由に閲覧できない「閉架」の措置を取るよう市内の全市立小中学校に求めた。日本軍の中国での残虐行為が理由らしい。驚くべきは弾圧主体が教育委員会ということである。
イギリスでは王室がマンガやジョークになったりしている。
日本で、皇室がマンガやジョークになったりすることはまずない。なぜだろう。
街にはヘイトスピーチが溢れるようになった。
ポルノ規制からマンガ表現が抑圧される可能性が示唆されはじめた。
旧帝国憲法にも表現の自由はあった。
しかし「法律の範囲内で言論、著作、集会、結社の自由がある」(現代文に意訳)
この法律の範囲内で大弾圧されたのである。最も顕著な例は「治安維持法」である。
現憲法では21条でこう定められている。
「(略)言論、出版その他の一切の表現の自由は、これを保障する」
自民党の改正草案には21条はそのまま残った。しかし第2項が新設された。それにはこうある。
「(略)公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」
表現ばかりではなく、結社さえも認めないという恐るべき規定である。
「公益及び公の秩序」は「治安維持法」の「治安」を連想させないだろうか?
もう始まっているのである。
