普通に生きていくしかない人生(「息子のまなざし」) 過去ログ | leraのブログ

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普通に生きていくしかない人生(「息子のまなざし」)2006年05月29日過去ログ





普通に生きていくしかない人生

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 キャメラはたいへん珍しいポジションをとる。ハンディカメラで(実際にはミニマという新型カメラ)カットを極力抑え主人公のオリヴィエの背後に常にあり、彼の肩越しに彼の行為を見ることとなる。



 さらに音楽やあきらかな照明がないのでドキュメンタリーというより撮りっぱなしのホームビデオと錯覚させる構成になっている。常に背後からであるから彼の背中にへばりついた何かであるのか、と思うとそうではない。彼が急いで昇った階段を引き返すシーンがあるが、その時はこちらに向いたオリヴィエがあるのである。



 つまり背後に居る「傍観者」であるのだ。



 それは彼が職業訓練校の教師であるから自然と思われる部分もある。彼の手技や説明を彼の背後に立って見聞きする位置だからだ。しかし実はキャメラはそのポジションではないことを後に証明する。



 それは、製材所のシーンで山から戻ったところだ。キャメラは初めてキャメラの(第三者の)ポジションをとる。そしてそこには少年が立っている。さらに言うならポジションを変えるのはオリヴィエが少年に馬乗りになるところからだろう…



 人は普通に生きていかねばならない。どのような事象があろうと、どのような事件があろうと「普通」に生きていくしかない。それはオリヴィエにとっても少年にとっても同じである。



 しかしその普通が何なのかが掴みどころがない。その普通を求めんがためにオリヴィエは材木を運び始めるのだろうし、少年は戻ってくるのだ。



 オリヴィエは少年との出会いによって生じる心の乱れに対応できない。そこには5年という自問の日々を連想させるものがある。そして全ての理由が離婚や職業選択などの生きてゆく上での全ての理由が凝縮していることも連想させる。



 彼はこの5年間ただそれだけの想念で生きてきたのだ。



 彼が欲するのは以前の時間に帰ることか、あるいは「普通」の生活か、それを明確にする材料はどこにも存在しえない。



 彼は少年の部屋に行ってみる。ベッドで寝てみる。それは憎悪の根源を見つけるためだ。憎悪が想念ではなく具体的なカタチを持っていることを、持っているはずであろうことを確認せんがためだ。



 飲みかけの牛乳、目覚まし時計、義務づけられているだろう睡眠薬、それらは少年の孤独しか表さない。少年はその孤独の故にオリヴィエに後見を依頼する。少年がオリヴィエに距離をきくシーンがある。オリヴィエの技術に接しそこに父性を感じているように思える。その少年がいとおしく思える。オリヴィエの心情が微かに解けていくのがわかる。



 解けていくと同時に彼は露吐したい言葉を吐く。



「5年も償った」



 この言葉はオリヴィエ本人にも向けられたのかもしれない。



 忘れられぬもの、忘れたくないものを遠い位置に持っていくことが残された唯一の行為であることが判る。その行為の先には続きがあるからである。



 オリヴィエが木材を車に積んでいると少年が現れる。戻ってきた少年も多くの自問の時間をすごしたであろうし、普通に生きることを選択せねばならない故に戻ってくるのである。その少年には他に戻る場所などないのであるから…



 少年は木材の運搬を手伝いだす。少年の出現から少年が手伝いを始めるまでオリヴィエの視線をキャメラは追う。



 これは「許し」を表現しているのであろうか?いつかは戻らざるをえない「普通」の生活、その生活を獲得するためにせざるをえない許しがあるように思える。

 またその場を探し続けて来たような気もする。さらに彼が教えることに自分の存在を見出していることも関係があるように思われる。または労働の中に見出しているようにも思える。



 具体的な憎悪のカタチを確認するか、あるいは許しの場を創造するか、どちらかしかないのである。人生は普通に生きていくしかないからだ。



監督・脚本 ジャン・ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ



撮影監督 アラン・マルコァン



キャメラ ブノワ・デルヴォー



オリヴィエ オリヴィエ・グルメ



フランシス モルガン・マリンヌ



2002年ベルギー・フランス合作103分



備考 原題は「息子」である。「まなざし」という言葉は暗示の多いこの作品にとっては雄弁すぎてふさわしくないように思われる。