映画『テレーズ・デスケルウ』Thérèse Desqueyroux
一連の処女(少女)映画、『あの娘が海辺で踊ってる』『Her Res』『映画バンもん!』『かしこい狗は、吠えずに笑う』などを連想した。
それはプロローグから登場する二人の少女のシーンからだ。美しい背景の中での二人のシーンがそれを連想させた。そして感じたのは処女性である。処女性というのは愛の対象の原初的発現である。
仮に婚姻という社会的圧力が異性(ヘテロ)間関係、ひいては異性との性的接触を強いることにより抑圧される原初的な愛着対象の発露が処女性である。
1920年代のボルドー近郊の大規模土地所有家同士の婚姻の中で強いられた婚姻をするのがテレーズ(オドレイ・トトゥ)であり、夫は原初的な愛着対象であった少女の兄である。彼女は因習外(?)の男性に恋をした原初的な愛着対象であった義妹を、因習内に戻るようにと説得する役を担う。その義妹も大規模土地所有家との婚姻が約束されていたからだ。ところが、彼女はその説得に熱心ではなく、逆にその男性に強い関心を抱く。
その関心はふたつ。
ひとつは愛着対象が恋をした「対象」であることに、もうひとつは愛着対象の「関心が向った」ことにである。これはアンビバレンツな関心であるが、彼女の中では合体している。それはそこに処女性の原像があるからだ。
彼女のとった行動はふたつ。
ひとつはその義妹の恋人に別れることを約束させること。もうひとつは夫の殺害。
殺害動機は原初的愛着対象の喪失に対する恨み…ルサンチマンかもしれない。そしてそれこそ処女性の回復だったのだろう。
しかし処女性は回復されない。なぜなら「消費財(山戸結希監督の言葉)」だからだ。よって独りで暮らすこととなる。これはあきらかに抑圧からの解放である。
オドレイ・トトゥが「処女性」以外のモノ全てに不感症なることを演じて秀逸。彼女の大きなテーマが復讐であることをラストのパリのカフェで感じさせる巧みさが憎い。
カメラ、照明が実に美しく見事。
そしてクロード・ミレール監督の遺作である。
原作はモーリアックの同名小説。
2012年カンヌ国際映画祭クロージング作品
2011年フランス映画
備考 Thérèseの最初のeと二番目のeにアクサンがついているのだがちゃんと反映されているだろうか…
