フライヤーとパンフ、劇団ダダン有志公演「かもめ」から
このテーマについては以前から書いていて、今回は特に書きたかったのだが、劇団の存在があまりに近いので「手前味噌的に」書く勇気がなかった。(笑)
長年舞台や映画を観てきて、観ようと思わせる動機を形成するのはフライヤー(一般的にはチラシか)であると思っている。それはネット主流の現在でも例外ではないし、逆に存在感を増しているようにも思う。(映画『あの娘が海辺で踊ってる』ではオリジナルチラシが登場した。映画製作スタッフが外注せずに作ったもの)
フライヤーの最も重要な情報は舞台のイメージを伝えることと、「なんだろう」と思わせることである。人は「なんだろう」を解決したくて見に来る。
今回の劇団ダダン有志公演「かもめ」のフライヤーの出来がたいへん良かったのでそのことを言いたいのだ。
水に沈む「なにか」がある。
その「なにか」から水泡が上がり、いくつかは鳥をかたどっている。演目が「かもめ」なので、その気泡はかもめだと思える。水に沈んでいることは、上方に水面があり「なにか」が反射していることで分る。水面に比べ「なにか」がある所はたいへん暗い。その暗さの中で孤高の存在を誇っている。
この「なにか」を解決したいと思うのが人情である。
時として、フライヤーにある「なにか」が、舞台で解決されないことがある。私はそんな時「本来自分で感じることなんでしょうけど」と前置きして遠慮なく聞くことにしている。制作サイドの問題もあると思うが、あるいはデッサンやディティールの未熟さにも原因があると思うが、解決されない場合がある。そんな時は寂しい。
私は今回のフライヤーが色彩的にも、構図的にも、「かもめ」の文字の大きさや色も優れていると思ったが、一番心を揺さぶられたのは劇を観ていてこの「なにか」がまさしく解決された瞬間だ。(絶対に再演されないのなら言いたいし、観た人は分かると思うが…)
その時、「これかぁ…」と思った印象は大変強く、舞台の記憶を鮮明なものにする。舞台を「生きている過去」にする効果もあると思う。
次にパンフレットである。
オペラや歌舞伎(ここでは「すじがき」と言う)のそれが秀逸なのは、執筆陣であろう。しかしそれなりの値段である。
そこには解説(解題、あるいは鑑賞の助け)、歴史、演出ノートがある。
アマチュア演劇では簡単でいいからそういったものを準備するといいと常々言ってきた。予算の関係もあるし、スタッフの関係もあるから一様に言えないことは分かっている。人によっては舞台が全てを語るのだから不必要という人もいる。それにも一理ある。ただ表現者として多くの人に理解してもらいたい場合、その理解がその人なりの理解であるとしても解釈のヒントは欲しい場合がある。それによって舞台の印象は終幕後でありながらも深まる。
また逆に、幕が開く前に読んで欲しい部分と幕が閉じてから読んで欲しい部分があってもいいと思う。それを表紙で指定してもいいと思う。
今回の劇団ダダン有志公演「かもめ」のパンフレットは、衣装デッサン、装置デッサン、演出ノート、演目の略歴が載っていて実に充実していた。演目の略歴は「人々の理解」あるいは「人々の受容」の歴史でもあるからだ。
私は再演されないアマチュア演劇だからこそフライヤーとパンフは重要だと考える。
また以前のもので「ばんゆーいんりょく」(劇団ダダン2009年度本公演)のフライヤーがよかった。紙袋を被った男性こそ「なにか」であり、それが舞台ではたいへん重要だったからだ。
備考:今回の「かもめ」フライヤーでは、演出家の姓と名でフォントが異なっていて明朝とゴチックである。演出家の名は水に関係があり、ゴチック(ゴシック)はヨーロッパの様式に関係がある。今現在その謎に関しては解決できていない。解決したときの感動を期待して考え続けたいと思う。