劇評『ベテルギウス』劇団曙 第144回公演
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ベテルギウスとは自我である
自我が獲得できるものかどうかは知らない
しかし、少なくとも自我を獲得せんとするテーマである
ならば自我とは何か?
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ヒトは他者関係の中で自らを認識する
他者との関係性が自我の土壌となる
他者がいなければ自我はあり得ない
それは他者証明でしかなしえない自我の脆弱性
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その脆弱性はジレンマしか生まない
他者をどこに求める?
どこにもないのだ
偶然の闖入者しかありえないのだ
自らにコミットするのは闖入者しかいないからだ
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その闖入者を天体に求める
ベテルギウスだ
ベテルギウスの爆発というエネルギーに仮託する形だ
やはり自我はない
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『2001年宇宙の旅』のオマージュのようなプロローグとエピローグは『ベテルギウス』がこの映画のサイドストーリーと思わせてしまう可能性があり(というよりそうかもしれない)観客は困難な思考回路に入ってしまう。
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脳内葛藤がテーマだが、劇団ダダンの『太郎を殺したのは誰だ?』を連想した。偶然表現形態が近似している。
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東洋大学演劇研究会 劇団曙 第144回公演
作・演出:佐藤真史
2012.10.27