劇団娘の予感2012年度秋オムニバス公演 | leraのブログ

leraのブログ

自らの文章のアーカイブと考えている

劇団娘の予感2012年度秋オムニバス公演

チョコレートレセプター/ヒトゴト

 表題2題のオムニバス構成になっている。


チョコレートレセプター

 脳の記憶が書き換えられる時代。山で遭難した男女がいて、生き残ったものの脳の一部を損傷した男に、死んだ女の脳の一部を移植し、記憶全体を書き換えたとする。よってその男には遭難の記憶がない。ところが彼にだけ死んだ女が見え、会話し、時間の共有ができる。
 先ずそこに引っ掛かりを感じた。

 自己脳は書き換えられ、移植した脳のドナーが意識あるいは脳内機能に現象として現れるというロジックにだ。つまり、自分では自分の存在を象徴するような自分の顔が実見できないから、移植脳にはドナーの視覚的情報が存在しないと思えてしまう。この点はかなり重要で女の存在あるいは幻視の起序を男の本来脳とするか、移植脳とするかという問題がストーリーを解く鍵に見えてしまうからだ。種々のモチーフをその解決の材料として見てしまうと舞台に集中できなくなってしまう。そのモチーフは、「移植脳が拒絶反応を起こし死に近づいている」「救う方法として脳全体を移植し記憶を書き換える、それって誰になるのかという疑問」「男を救いたい女性が大金をかけて生物学的知識を自分の脳に書き込む」なのである。

 さらに幻視の中の女が寒さと冷たさを訴えるモノローグが多用されるが、冬山の遭難死がセリフによって説明されてしまうのでメタファーに成り得ず、女の存在そのものを深化させることができなかったように思えた。

 そして、男はかつては嫌いだったチョコレートを好きになっていることに気づき、記憶を甦らせていく。それは女から継承した「チョコレートレセプター」であり、女への思慕を確認するといったストーリーだ。

 文字で読めば論理展開が明瞭なのかもしれないが、セリフからでは論理構成に追われてしまった。SFとファンタジーを混同した時に起きる混乱と同種のものである。テーマの絞込みか、あるいはパズル解説のような論理提示もしくはそのメタファーが必要かもしれない。しかしどちらにしろ全く別の舞台になる可能性はある。


ヒトゴト

 「ヒトのタメ」「ヒトゴト」が激しく交差し合い相克する。そして、観客は「ヒト」の定義(再定義ではなく初定義かもしれない)を迫られる。ヒトなのか?人なのか?他者なのか?霊止なのか?
 数多くのコント的シチュエーションコメディ…クイズ番組、親の臨終に直面している子どもたち、出生前診断を受けようとする夫婦、イジメにあっている女子学生、等々。

 そのシチュエーションが目まぐるしく変わり、テーマを深めていく。

 「ヒトのタメ」と物品販売(人間をスポイルする機器)をする業者が「ヒトゴト」に変転して行く様や、出生前診断や臨死医療・延命治療が「ダレのためなのか?」とダレが加わってくるところや、クイズ番組の究極の選択で回答者が「ヒトのタメ」と「ヒトゴト」の間で激しく逡巡し動揺するところなどだ。


 場の多さや場転の激しさ、それに伴う大量のセリフとシュプレヒコール、それらが軽妙さの中で組み立てられていて、本の良さと稽古量の多さを感じた。


 約70分のオムニバスだったが、それの効果としては、人間存在というなんともつかみ所のないモノの脳機能的(生理現象的)アプローチと心理的(心情的)アプローチの提示に思えた。


作・演出:来見田遥一