劇評「半神」
人間はいつかは自分と別れなければならない。
その前に、別れるべき自分を発見するか、定義しなければならない。
常に相反する自分がいて、そのどちらもが自分であって、自分でない。
それを知るには、人間が必ず求める孤独が必要らしい。そして、孤独というものが一体何なのかも理解する必要がある。
劇場に入る前にカードのスペードの9を渡された。
その意味を探った。
スペードは剣を象徴している。9は中国や朝鮮半島や日本では勝ち数を表すし、陽数でもある。しかし、他の人のカードを見るとスペードではあるが9ではなく、もっと若いランクでしかも連続していた。入場整理券だった。
ところが、劇中で「ハートのエースを引くのはシュラ」というセリフがあり、やはり繋がっていたのだ。ハートのエースを引くシュラを支えるのがスペードの観客たちなのだった。
舞台は海底の藻屑としがらみを思わせる。場所は灯台であり、その深い地下かも知れない。
シャム双生児の家庭教師が現れるが、双生児の両親は世間を知らせないことがこの子たちの幸せと言う。この双生児に化け物たちが連れ出そうと近づく。その化け物たちは人間の欲望や迷いであり、自分と別れることを強いられている「自分」に作用する。その作用は、どんな自分と別れるのかと言う定理を見出す作業に似ている。
家庭教師は、別れを強いられる自分同士の間に介在し、それを最も合理的な理由で成し遂げようとする。あるいは、合理的な理由を見つけようとする。それはあたかも別れることに対する贖罪のようだ。別れることができた自分は孤独を知り、別れさせられた自分は霧笛の声を得る。別れさせられた半分は神に近いのかもしれない。
その霧笛は船舶の航行の水先案内となるようだが、実は別れさせられた自分への記憶に他ならない。
その霧笛を聞くたびに人間は哀しくなり、耐えられない孤独に呻吟するのだ。
12ケ月連続公演をしている精力的な劇団「+1」(たすいち)の11本目の公演。
原作がいいのか、脚本がいいのか、プロローグからエピローグまで一気に見せる。多くの表象の仮託がちりばめられていて、消化しきれないところがあるが、それは自分の人生の中で少しずつ解けて行く「謎」かもしれない。
原作:萩尾望都、脚本:野田秀樹、潤色・演出:目崎剛
出演:四家準平、永渕沙弥、松島やすこ、他
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