映画「文楽 冥途の飛脚」 | leraのブログ

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 近松門左衛門の「冥途の飛脚」は、歌舞伎の「恋飛脚大和往来」も含めて最も多く観た舞台である。




 それはS君たちが演劇で「冥途の飛脚」を企画し、その実現に協力したからだ。


 時間的制約、キャストの制限などがあるため床本から検討しなければならなかったし、国立劇場の映像ライブラリーやNHKのアーカイヴも随分と参照した。もっとも私より、源氏物語の研究家T先生の方がはるかに貢献度は高かった。




 さて、映画である。




 映画が始まってすぐに出の「木」が浄瑠璃にかぶる。こんなことはないのではないか?




 また、他の違和感も感じた。

 私(たち)が文楽を観る時、頻繁に文楽回しと舞台を交互に見ているようで、映画だとそれができない。


 太夫の聴かせどころは太夫がスクリーンを占めるが、舞台のその場面は後に出てくるので、タイムラグがある。それも気になった。




 音もけしてよくない。どうしても生と較べてしまうからで、それは酷だともいえる。太棹の朗朗と響き渡る音色を知っている者はどうしても較べてしまうだろう。




 しかし、けして悪い映画ではない。

 素晴らしい映画だと思う。

 蓑助に目を奪われた。

 清治と文字大夫(現住大夫)が若い。




 一に思案、二に不思案…のところの背景が川べりで、橋もあれば、対岸の家並みも見える。道端の柳を黒衣(くろご)が揺らして風を表現する。犬が出てきて、思案に逡巡いいらついている忠兵衛が石を投げつける。




 封印切りのシーンは「意図的」に「懐内で」切り、金は襟元からこぼれ落ちる。


 以前、玉男の忠兵衛で、封印を小柄(小刀)で切る舞台を観ている。

 切る寸前に間があり、耐え切れないほどの緊張感を作ったのだが、その舞台が国立のライブラリーにも、NHKのアーカイヴにもなかった。




 封印を確実に切り、金が落ちる音が耳に残っている。最も好きな演出なのだが、幻になってしまっている。


 孫右衛門の心情がより伝わるのは文楽である。

 歌舞伎でも文楽でも孫右衛門は難しい役所だが、文楽の方がひしひしと心情が伝わる。これは逆を言えば、歌舞伎の老け役がいかに難しいかということでもある。




 梅川は、苦界に身を沈めた後に真の恋に出会うという境遇への同情が存在価値であり、やはり難しい役所である。

 多くの場合、梅川も文楽の方が哀しく、切なく、愛おしい。


 梅川と孫右衛門のカラミは、けっして二度と会えない実父の姿をそこに見ている梅川の姿が涙を誘う。




 S君たちの演劇の時、涙を流している女性の観客がいて、もらい泣きしたことがある。


 ワイルドな資本主義と、厳しい身分制度の中で辛苦する女性の姿は現代性があるからだ。




 もうひとつの違和感は休憩のないこと。

 やはり芝居における休憩は、ただのインターバルではなく、前幕の整理を観客にさせる貴重な時間であるのだ。




 京都太秦で3週間かけて撮影され、トロントのスタジオで2000時間かけて編集されたこの作品が、日本で公開されなかったというのは驚きである。


 英、仏、伊語のスーパーがついたというので、その地域でDVD化されていないだろうか?


 この映画には床本からの字幕がつく。

 このことが最高に素晴らしいのは、太夫と一緒に「唄える」ことである。この快感は生の舞台ではありえない。


 人形の美しさ、ややファンタジー的な表現が許されるなら人形の心情が伝わる映像で実に秀逸であり、貴重である。あも意味奇跡でもある。




 アメリカ、カナダで上映した時のポスターをカメラに収めたのだが、公開しないという条件で許可してもらったので公開できない。このポスターはシルクスクリーンのようなものでとてもいいものなので残念だ。




データ




淡路町の段

太夫 竹本織大夫(現綱大夫)

三味線 鶴澤燕三(五世)




封印切の段

太夫 竹本越路大夫

三味線 鶴澤清治




新口村の段「恋飛脚大和往来」より

太夫 竹本文字大夫(現住大夫)

三味線 野澤錦糸(四世)




忠兵衛 吉田玉男

梅川 吉田蓑助

八右衛門・孫右衛門 桐竹勘十郎(二世)

妙閑 吉田文雀






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製作・監督・編集 マーティ・グロス

撮影 岡崎宏三、小林秀昭

音響・音楽監修 武満 徹

日本側製作 安武 龍

演出通訳 エイデルマン敏子

録音 西崎英雄

1979年製作、87分、ビスタサイズ、モノラル、カラー