頑張り屋さんが多い国民性だから、頑張って頑張って、頑張りぬく人も多いニッポン。
「効率第一」 「成果につながらない努力は無駄」
と、声高に述べる方々も多いから。
「努力するって、悪いことなのかな・・。」
「報われない努力してる自分、間違えてるのかな?!」
って思う人も、少なからずいるのかもしれないなぁと思ったので、勝手に一刀両断。
「報われないって、いつ誰が決めたのかねw 」
ニョロニョロもびっくりの図
なんかね。
「努力したら即回収」
みたいな風潮がはびこっていて。
即回収できない=「無駄な努力」
って思うのって、
伸びしろ少なくなるんじゃないかな、逆に。
と思うのです。
一瞬パッと売れたとしても。
努力して、それが即、花開かないと
「これは合わない」と捨ててしまうのって
稲を稲と知らずに植えて
ひょろひょろした双葉を見て
「こいつ、伸びおせーな。しかも食えねぇし。抜いちゃえ」
っていう感覚に似ている気がする。
じっくり、努力を重ねれば、
時が満ちた頃に、黄金色の、たわわな実りをつけるかもしれないのに。
最近、「間違えた方向の努力は無駄なだけ」
という指向があるような気がするのですが。
たとえ、それが自分に合わない、
「間違えた方向」だとしても
「続けてきた努力の痕」は、決して消えはしないのですよ。
※全然関係ないけど、「セミナージプシー」と揶揄する風潮に憤って5年前に描いたスナフキン。
たとえ、ナイスバディでかわいいラムちゃんが
根っからの浮気性・諸星あたるに対して愛情ビームを浴びせても
浮気は治らなかったとしても。
ラムちゃんの女神度はじわじわ右肩上がりするだけなんでw
一定時間、自分の時間を割いて、費やして、
努力してきたことって
「努力したい」と思う、何かしらの要素があるわけで。
だからこそ、真剣に、
もしかすると、死に物狂いで、努力していたり、するもので。
たとえそれが、自分が期待するところで役に立たないとしても、自分の中から、消えることはなく。
その時は、使うことがなかったとしても
何年も経った後で、改めて取り組んでみると
最初に触れた時よりも、何倍も楽にこなせたり、するもの。
それって、過去に努力して、歯を食いしばってきたことを体が忘れてないからなんだなと、思うのです。
私の場合は、それが、英語だったり、HTMLとかWebプログラミング言語なのですが。
(7年前に転職したくて学んだけど、その業界には行けなかった。←短絡的に見て失敗。)
でもそれが、ブログを装飾したり、
WordPressでのサイトを自力で無料テーマで作る際に役に立って決して無駄にはならなかったし。
今の仕事でも、直接的ではないけれど
間接的に役立っていたり、する。
だから。
「失敗したくないから、確実な路線での努力だけしたい」
って思うのって、
選択肢を狭めてる可能性もあるんじゃないかな
って、思うんです。
努力して、身に着けたことって、そうそう、消えはしない。
長年経っても忘れてなくて、体で覚えている。
だから、いつでもそれを取り出して、使うことができる。
だから。
「努力することが、悪いこと」
では、決してない。
と思います。
ここで、素敵カメラマンに撮っていただいた素敵ショットぶっこむw
誰だって向き不向きあるし。
要領のいい人は、努力しなくてもサラリとできちゃうから、努力を時間の無駄!と言って評価しないかもしれない。
努力をする人は、中には要領のいい人もいるかもしれないけれど大半はそこまで器用ではないから
「努力しなきゃって思うのって、劣っているのかな・・」
と思う事も少なくないかもしれないけど。
それは、得意パターンが違うだけ。
だから
気にすることは、なかよー!!!!
と思った次第。
努力した結果って。
すぐに帰ってくるものは、さほど効果が続かない。
だけど。
すぐに返ってこないものって、出る結果が大きいがために、結果が出るまでに時間はかかるけど
努力したことを忘れたころに、どかーんと帰ってくるし。
たとえすぐには返ってってこなくても
また、努力できる力とノウハウを持ってるってだけで、いつなんどきでもまた、努力できるのだから凄いことだと思いますよ✨
大事なのは
努力の見返りに固執しないこと。
努力し尽くしたら
「そのうち、返ってくるさー」
(ま、来世に持ち越しでもいいけどw)
位に大らかに構えることかもしれない。
です!