「才能」で考えるから辛くなる?! | ■多忙な個人事業主・起業家様を事務面でサポート|オンライン/東京

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東京在住。事務歴25年目のパラレルキャリア。忙しい個人事業主や起業家の皆様の使える時間を増やすお手伝いを、事務面からさせていただきます。

フォローしているブロガーさんが星読みさん多いので、昨日は、しし座新月の記事をたくさん読んだ1日。

 ライオンの赤ちゃん@山口県秋吉台サファリパーク(2017年)

IMG_20170819_150856694.png

 

共通して書かれていたのが

「あなたらしく生きる」

「他人軸でなく自分軸で生きる」

「自分がワクワクする好きなことで世の中の役に立つ」

「自分を表現する、言語化する」

 

などなど。

 

読んでて、思わず

映画 グレーティスト・ショーマンの

 

THIS IS ME

が脳内リフレイン。

 

※画像はお借りしました

 

「これが私!」を高らかに打ち出していく

そんなメッセージを感じました。

 

これまでの世の中で当たり前と思われていた

パンダうしなければ

パンダこうしたほうが得

パンダこうしたほうが評価される

 ということから抜け出して

自分ではない他人になろうと頑張るのをやめて、自分を極めよ!

 

っていうそんな印象を受け、ガツンと、心に響きました。

 

しし座新月2020で気づいた 過去の思い癖

それというのも。

これまでの私、

自分にないものを持っている人がうらやましくて。 

  • 美人
  • 誰にでも好かれて周りを人に囲まれちゃう人気者
  • 超越した美的センスを持っている人
  • 周りを巻き込むリーダーシップのある人

などなど

めちゃくちゃ、恵まれてるのがうらやましくて、うらやましくて

仕方なかった時期が相当長かったから。

 

そういう人になりたくて、真似したりしても

元が違うから、到底、及ばなくて。

自分は、そういう才能や素質が無いんだー(涙)

って、落ち込んだりしてました。

 

でも、今日のしし座新月の星読み記事を読んで

「才能」という言葉を崇め、

めちゃくちゃとらわれて

その「才能」の「ありなし」

世界を捉え、人をジャッジしていたんだという

自分の思考癖がはっきりとわかりました。

 

 

そして、「才能」の有無でジャッジすることで

人との関係もぎくしゃくするし、

自分を自分で苦しめていたということにも

気づいた46歳の夏。遅っ!

 

環境のせいにするなよ!

というお叱りの声を覚悟で

あえて言います。

世間が、「才能」ファーストだからだYo~~~!!!

 

そのほうが、わかりやすいから。

自分で考えなくてもいいから。

世間が支持する基準に従うほうが楽だから。

というのも、あるのかもしれない。

 

 

受け手が「好き、嫌い」とか考えなくて済むし

「とりあえず、みんなに評価されているもの選んでおけば失敗しないので」

by大門みちこ 的な 保険かける思考もあるだろうし。

 

だけど、ふと、今日、思い浮かんだのは

「才能」というのは、

他人がラベル(レッテル)を貼った=ジャッジしたもの。

 

その時代に重宝されるものを持つ人

「才能ある」と判定されるもの。

 

時代、つまり、人の嗜好や感覚次第で変化するもの。

なのに、誰もが「すがりつきたくなる」概念。

ということ。

 

才能というものは

ある「特性」が強く出た(or抑制)ものを

その時代にウケるからもてはやされてているもの。

そんなこと、ふと思いました。

 

状況変われば「才能」変わる!?

例えば、リモート勤務に切り替わった2020.

これまでは

「リアルな会議室で偉く見えるようにふるまうこと」

が、すごそうに見えてたオジサマたちが。

 

コロナ禍でリモートワークになると

「オンラインミーティング」や「メール」など

オンラインでのコミュニケーションができないと

「仕事してないのがバレバレ」と、やり玉にあげられるような立場になる。というような感じ。

 

取り巻く状況が変わると、

「評価」されるものが、急変するんですよね。

本人の「特性」自体は変わっていないのに。

 

 

「特性」が強いか弱いかだけ。そこに上下優劣はない

あと、才能って言っちゃうと

「ある」「ない」ではかられ、

よい」「悪い」という判断につながるから

みんな、苦しくなるんじゃないかな。

だって、上には上がいる

みたいな、上下優劣な価値観につながるから。

そうじゃなくて

「特性」が強いか弱いか。

というのが、あるだけであって

それ自体は、個性であって良し悪しはない。

 

良し悪しは、その時の世の中の時流によって

評価されるものが変わり、変動する

ということを分かっていれば

心が乱れることはないだろうし

その時流で自分の「特性」を

どう出していけば、周りに役立つか

ということを分析できるんじゃないだろうかと

ふと思ったのです。

 

役員秘書は見た!突出してデキる人のリアル

例えば。

私は、これまで6社で働いたことがあって

経営層の秘書の経験もあるのですが。

 

東京中枢地にあるコンサルティング会社で

経営層の方の秘書の仕事をしたときに

「一つのことに突き抜けている人は、それ以外は抜けている」

ということを、

数々のシーンを目撃したことを振り返り

思ったのです。

 

専門知識に精通し、クライアントへのアドバイスも的確。

バイリンガルで海外でもバリバリ活躍。

なので、国内・海外問わず出張しまくる頭の切れる上司が。

 

まさかの、新幹線に上着ごと携帯を忘れ

その方の秘書さんが、駅に電話を即入れて

無事捕獲・・じゃなかった、確保したとか。

(しかも、ご本人、上着忘れたことすら気づいてない。秘書さんが聞いて発覚!)

 

私がお仕えした方も

めちゃ頭キレッキレなんだけど

自分の乗ったタクシーがどこからどこまでか

全然覚えてなくて。

 

経費精算する私が

上司のスケジュールとタクシーの領収書の日時を照合してルートを割り出したりとか。

 

頭脳集団のトップとして、

「提案力」「専門性」「問題解決力」という特性が

一般ピーポーの標準値より振り切れて高い方々が

他の部分では、

一般ピーポーが備えるような特性の

半分を切る弱さだったりするのを目の当たりにして。

 

人って、トータルで使えるパワーは誰もが同じで

多い特性に偏って振り切れている人は

その特性を生かせる分野では

突出してパフォーマンスを発揮するし。

 

その一方、持っていない特性については

まったく出来ない(というか、そういう観点を持ってない)。

だから、

「なんでこんなに頭いいのに、こんな簡単なこともできないの?」

って、その仕事で経験する前の私は、思ってた。

 

だけど、それって

そこを補う人が周りにいるから

何とかなったりしてるし。

 

「とがって突出している人」は

自分の不得意分野は手放して任せてくれるから

サポートが得意な人が、サポート特性を発揮して

お互いが最大のパフォーマンスを発揮してたんだよね。

 

突き抜ける1点集中が特性の人、

突出するものはなくてもバランスよく、目配り気配りできる人

いるだけで、空気を和ませる人

憎まれ役を買ってでも、愛の鞭をくれる人

 

などなど

いろいろな人がいて。

それは、「才能」というものよりも

「特性」という言葉が、しっくりくる。


自分があまり持っていない特性を

めっちゃ持っている人に補ってもらい、

逆に、自分がめっちゃ持ってる特性は

それを持っていない相手を補ってサポートする。

そこに、優劣はない。

 

よく、就活とかで

「短所を反対側から見て長所にする視点で考えましょう」

というように。

 

いろんな視点から見て

自分の特性が どういう特徴があって

過剰に出るとどうなるかを把握して、

そこはうまくコントロールしながら

自分の特性として、足りないところは

それを得意とする人を頼ればいいし。

 

その逆に

自分が多く持つ特性が少ない人相手には

サポートすることができる。

 

だから、「競争より共奏」という言葉が

これからの時代にフィットするんだろうな。

 

 

これまでの私も

世の中の大半の人も

「才能」

という言葉が大好きで、惹きつけられるけれど。

 

そこにこだわりすぎると、

たぶん、つらくなると思う。

 

そっちじゃなくて

「自分の持ってる特性」を理解して

「その特性でお役に立てるにはどうすればいいかな」

って考えるほうが

とっても 気持ちが前向きになるんじゃないかな。

 

そう思うので。

自分の特性を生かせる方向に向かってジャンプ✨ 

品川のマクセル水族館のイルカショーで撮った奇跡の一枚♡