豊かさの定義を変えたステイホーム | ■多忙な個人事業主・起業家様を事務面でサポート|オンライン/東京

■多忙な個人事業主・起業家様を事務面でサポート|オンライン/東京

東京在住。事務歴25年目のパラレルキャリア。忙しい個人事業主や起業家の皆様の使える時間を増やすお手伝いを、事務面からさせていただきます。

「豊かさ」。

この1ワードで思い浮かべることは、

人それぞれかと思います。

 

すごく抽象的な概念だから、

「あなたにとっての本当の豊かさは何ですか?」

と問われたときに、

即答できる人は多くないのではないでしょうか。

 

もしくは、自分が「豊かさ」と思っている事が、

親からの刷り込みだったり、

世間体(これが成功と言われていること)だったり、

周りから賞賛されることだったりetc

 

他人軸全開

なものだったりすることも、

あるあるなんじゃないかなぁ。

 

だから、その「豊かさ」を得るために

努力して、我慢して、歯を食いしばって頑張って。

その割に、むくわれなさを感じたり。

たとえ手に入れたとしても

心の底が満たされなくて、

「もっと豊かにならなければ!!」

って頑張りまくループに突入。

まるでハツカネズミみたく、

くるくる、くるくる回って回って、消耗して

「なんか違う・・・?」ってなる。

 

「豊かさ」の定義がズレた頑張りは辛さしかもたらさない

というのも、実は私、

「成功」=豊かさ

「稼ぐ」=豊かさ

「人気者になる」=豊かさ

「仕事で評価される」=豊かさ

って、これまで思ってまして。

その豊かさを得よう、得ようと

自分としては頑張っていたのだけど。

頑張れば頑張るほど、

「こんなに頑張ってるのに・・・。」

と投入した頑張りに比べ、

結果が得られないことに不満がつのるという

負のループをずーっと繰り返してたから

そう思うのです。

 

これは、絶叫のループ@としまえん↓

 

 

謎の自分縛りが負のループを生む悲劇

でも、

「頑張らないと生き残れない」とか

「頑張ることをやめたら、置いていかれる」とか、

「仕事ができない=存在価値がない」とか

「人気がない人は価値がない」とか

謎の思い込みがこびりついてて

「頑張る」ことをやめられずにいました。

 

ま、恐怖が背景にあって、

その恐怖から逃れるために頑張り続けてるから

そりゃぁ、うまく行くわけないよね。

今、客観的に振り返ってみると、

分かりすぎて笑っちゃうのですが。

 

「頑張り・強制ストップ」で気づく、豊さの本当の意味

そんな折、

「頑張ること」を強制的にストップさせられたのが、コロナ禍による外出自粛・ステイホーム。

 

行動が大幅に制限され

近所の散歩か、スーパーへの買い物でしか

外出もしない生活を4カ月近く続けることになり。

 

「頑張りどころ」がなくなったので

頑張ることが、必然的に無くなりました。

 

「頑張り」から「楽しみ」へシフトして見えてきた「豊かさ」

その代わり、家で楽しめること

たとえば、

失敗続きのベランダ菜園をリベンジ

とか、

塩麴や醤油麹を仕込んで活用する

とか

布マスクを増産する

とか

晴れた日はおふとんを干す

とか、

近所の草花の写真を撮る

といった、日常のちょっとしたこと

だけど、やると楽しいよね✨

ということを するようになり。

 

以前なら、「収入に直結すること」に

優先的に時間を割いていたのと

真逆な事に時間を使うようになりました。

 

そしたらね。

頑張らなくても、別に、

自分の価値って変わらないんだなぁ。

ってことに、気付いちゃった。

 

ってか、自分の価値って何だ?

それって、必要?

価値の有り無しを考えてるから辛いんじゃない?

 

頑張らないと、置いていかれるとか、

何にそんなに焦っていたんだろう。

 

更に、ベランダ菜園のシソやバジルやローズマリーが、わっさー育ちすぎて

使うのが追い付けないほど成長するのに

嬉しい悲鳴をあげたり、

それらをお料理に取り入れたら

料理の味がワンランクアップして、

美味しさに呻ったり。

 

お日様に干したふかふかな布団で寝ると

ぐっすり眠れて快適な朝を迎えられたり。

風が強い日に威力を発揮するCanDoの布団干しベルト↓

 

仕込んだ麹でラク旨料理に舌鼓打ったり。

塩麴で漬けたプチトマト&きゅうり↓

 

 

これまで見向きもしなかった

ご近所の草花の美しさに、

ステイホーム中、めちゃくちゃ楽しみを与えてもらったり。

ドクダミって綺麗なのねと写真撮ってみて気づいた↓

 

頑張っていた頃には感じることができなかった

穏やかな満足を感じられてる事に気づき。

 

私にとっての豊かさは、これなんだなぁ。

ということに肚落ち。

 

「他人軸」で定義した豊かさは真の豊かさにあらず

これまでは、バリキャリで仕事成功し

超売れっ子で「月商7桁」稼いで

仕事は忙しいから、家事は外注♪

お食事は東京カレンダーに出てきそうな

映えるゴージャスなレストランで、

パートナーとシャンパンで乾杯ボトルシャンパン

 

的な、SNS上でよく言われる

「成功女性」というのが

「豊かさ」と思っていたのだけど、

私にとっての豊かさは、

それじゃぁなかったんだなぁ。

(ハイパー他人軸な豊かさの定義すぎてワロタ)

 
豊かさは自分の感覚ファーストでいい

それよりも、

最近「豊かだなぁ」と思うのは

自分で工夫して、何でも作ってしまう人。

 

例えば、ドレッシングや豆板醤、麹系や

めんつゆ、ポン酢などから布マスクなどまで、

手に入らないなら自分で作る!という

創意工夫と発想力がある人。

 

その方が、添加物とかケミカルなものが入らない

身体に良いものが作れるし

愛情もたっぷり込められているから

とても豊かだなぁと思うのです。

 

そして、あるものを大切に使い、

「始末の良い」人。

自分が気に入ったものを厳選して、大切に使う。

そして、引っ越しなど物理的な事情で

どうしても手放さなければならない時は

欲しい方に譲ったりして、再活用してもらう。

※バンバン欲しいと思うままに買って、自分がいらなくなったら他の人にあげるというのとは違います。

 

ポンポン物を買って、盛大に断捨離するのは

地球環境にも優しくないと思うので

「お気に入りを厳選」して

最後まで大切に使うというのは

きちんと自分の選択基準とセンスがあり

物への愛情もある、とても豊かな精神だなぁと思ったのです。

 

まぁ、これは「私が感じる豊かさ」であり、

他の人は、その人その人で

豊かさの定義があると思うから

これが正解!というつもりは毛頭ないのですが

自分にとっての、自分軸で感じる

「豊かさ」を知るのは

とても大切なんじゃないかなぁと思いました。

 

まとめ!私にとっての「豊かさの定義」

私にとっては

「お金を稼がなきゃ」と焦り、

稼ぐことに頑張ってストレスを溜め、

それを発散するためにお金を使い、

使って減った分

「また稼がなきゃ」と焦るというのは

豊かさにはつながらないんだな。

それをやっていると、

家庭の雰囲気も悪くするし。

 

それに、精神をすり減らしながら

使いきれる以上に稼ぐよりも

丁度いい収入でやりくりする方が、

やりくりの過程も楽しめていいタイプなんだな。

 

稼がなきゃ!と焦るよりも

「今あるものを大事に活かす」

「生活の知恵をフル活用して彩りある生活をする」

方が、自分の性に合っているし。

 

実は、ハーブを育てることも、

料理をすることも

(高校生の頃は、栄養士になりたいと思ってた。母から猛反対されて諦めたけど)

お絵描きすること(今でいうところの写真を撮る事)も

子供の頃に夢中になったことでもあったんだなぁと

改めて気づきました。

 

 

絵はうまく描けないけど写真なら思い通りの世界を描けるのだ♡↓

 

物(お金も含む)や、

ステイタスや

他者の評価を

「持つ」こと自体が豊かさなのではなく

持つ、持たないにかかわらず

「豊かだなぁ」と感じることをする事が、

豊かさなんだろうな。

 

ということに気づき

自分にとっての「豊かさの定義」が

ひっくり返ったステイホーム期間。

地味に、でも根底から革命な期間でした。

 

これまで会社に通うことに価値を感じてたけど

家で仕事できて、家事も充実させられる

在宅勤務の方が、断然いいなぁ✨

何と言っても、雨の心配せずに洗濯できるし

晴れた日にお布団が干せるラブラブ

めざせ、働き方改革お願い