大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。
読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。
③彰子立后の理由
彰子立后のため、行成はさまざまな理由を考えて一条天皇に進言を行いました。行成がどのように説得をしたのかについては、正式決定した翌年の長保二年(1000年)正月二十八日の『権記』にまとめて記されています。
最終的な決定打となったのは「藤原氏のキサキは全員出家していて、氏の祀りをしていない」ということでした。
少し長くなりますが、ここからは原文を抜粋しながら見ていきましょう
当時坐(いま)す所の藤氏皇后、東三条院・皇太后宮・中宮、皆出家せるにより、氏の祀りを勤むること無し。職納の物、神事に充つべく、已にその数あり。然れども入道の後、その事を務めず(後略)
ー現在の藤原氏の皇后は、東三条院(詮子)・皇后(遵子)・中宮(定子)の三人すべて出家しているので、氏の祀りを務めていない。職の納物というのは、神事に充てるべくその数(公費、予算)が配分されている。しかしながら入道した後、三人ともがその勤めをしていない…
そして「勤めを果たしていないから予算が私用に費やされ、無駄遣いをしている。所司(神祇官や陰陽寮などか?)が神事が違例(通常ではないこと)と占うのはそのためだろう」と続きます。
『光る君へ』第28回の中で、行成が語気を強めていった言葉もこの日の条文に記されています。
我が朝は神国なり、神事を以て先となすべし・・・
ー我が国は神国である、神事をもって第一とするべきである。
ここで言っているのは、「神の国だから」といって威張るのではなく、「神の国だから、神事を第一に行わないといけませんよ」と忠告している形です。とは言え、この時期の貴族の日記に「神国」への言及があるということは、それだけ意識が浸透していることでもあり注目されます。
再び『権記』の続きをみてみると、すでに二后並立の例(遵子と定子)があること、それなのに一条の正妃である定子の現状は「出家したので神事を務められない」「一条天皇の特別な計らいで中宮職を止められていないだけ」であると厳しい評価です。
だから
・・・重ねて妃を立て后となし、氏の祭を掌らしむる宜しかるべきか。また大原野祭はその濫觴(らんしょう、起源のこと)を尋ぬるに、后宮(きさいのみや)の祈る所にあり、而るに当時の二后共に勤むる所無し。左大臣、氏の長者たるにより、独りその祭を勤む、闕怠を致さずといへども、恐らくは神明の本意に非ざるか。これまた神事の違例と謂ふべし。・・・
ー重ねて妃を立てて新しい皇后宮(中宮)とし、氏の祭を掌るようにさせるのが良いのではないか。また大原野祭についてはその起源を調べると、皇后が祈るべきもので、だけれども現在の二人の皇后は共にこれを務めていない。左大臣(道長)が、氏の長者という理由で、一人その祭を務めている(代行)が、怠りがないとはいえ、おそらく神の本意ではないのではないか。これもまた神事の違例と言うべきである・・・
つまり、今の状況は良くないのでもう一人立后させて氏の祭をさせましょうということです。
大原野神社は桓武天皇の皇后・藤原乙牟漏が奈良の春日大社(藤原氏の氏神)を分祀したことに始まり、仁寿元年(851年)に勅使を立てて以降、中宮(天皇の正妃としての意味)が一定の役割を果たしていました。行成はここに注目したのです。
(2)ー④に続きます