大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。
読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。
②藤原行成の動き
第十七回(1)ー④でご紹介したように、十一月に定子が第一皇子を出産したことで、道長には今よりももっと彰子の後宮での地位を高める必要が出てきました。一番早い話が「複数いる女御の中の一人」から「特別なキサキ」となることです。一条天皇を説得しようと道長が頼りにしたのが、詮子と蔵人頭の藤原行成でした。
『権記』にはその間の行成の動きが記されています。
十二月七日、一条天皇は行成に対して彰子の立后について相談します。十二月初旬には道長が行成を通じて立后について図っていたようで、一条天皇はその意を汲んで話し合いのキッカケを作ったとみられます。一条天皇が立后についての相談があったことを行成から伝えられた道長は、「詮子の元へ行って、一条天皇を説得するよう頼んでほしい」と頼みます。そこで行成は詮子の元へ行って書を認めてもらい、今度は内裏へ向かいます一条天皇に詮子の書を見てもらい、道長の意向も伝えます。一条天皇に再度意見を求められた行成は、立后しても差し支えないと答え、これを聞いた一条天皇は「然るべし」と応じます。行成はホッとして詮子、次に道長の元を訪ねてこの一条天皇の答えを伝えます。道長は立后が決まったと受け止めて、行成に「子どもの代まで面倒を見る」と感謝します。これだけのことが一日で行われました。特に行成は一日中内裏・土御門邸・詮子の在所を行き来していた訳で、まとまって良かったと胸をなでおろしたのではないかと思われます。
しかし、一条天皇はハッキリと彰子立后を決めたわけではありませんでした。そのせいなのか、翌日には目の病になってしまいます。一条天皇の病を知った詮子は驚き、二十四日に行成を連れて参内します。病状が収まったのを確認すると、今度は立后について直接交渉します。この時詮子は好感触を得たようで、二十七日に「后の事、許すべき天気有り」と行成に伝えます。すぐに行成は道長のところへ行き、詮子の言葉と一条天皇から得た感触を伝えます。道長の喜びはどれほどのことだったでしょう。
しかし二十九日、一条天皇は行成に「后の事、一日、院(詮子)に申すも、暫く披露すべからざれ」(立后について、この前女院に言ったけれど、そのことについてはしばらく誰にも披露しないで)と命じます。このときようやく一条天皇が迷い続けていることを知ったのでしょう、慌てた行成はここから一条天皇を説得するため、本職をこなしながら頭をフル回転することになるのです。
(1)ー③に続きます