大河ドラマ『光る君へ』“勝手に解説”~第十七回(4)-④敦康親王の誕生 | 愛しさのつれづれで。〜アリスターchのブログ

大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。

読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。

 

 

 

 ※年号が間違っていましたので訂正しました(2024年7月21日21:30)

④敦康親王の誕生

一条天皇が彰子と正式に顔合わせをした長保二年元年十一月七日の朝卯の刻(午前五時~七時)、定子は生昌邸で第一皇子を出産しますオーナメント後の敦康親王です。これで一代限りの天皇となる可能性がほぼなくなり、一条天皇も詮子も喜びます。『権記』には「中宮、男子を産む。天気、快然」太陽と喜びを隠さない一条天皇の様子と、詮子から御劒ナイフが皇子に贈られたことが記されています

道長の日記『御堂関白記』のこの日の記述は彰子が女御となったことで占められ、皇子誕生については触れられていません。実資はどうかと言うと、彰子の女御宣旨については詳しく記載するものの、「卯剋、中宮、男子を産む。前但馬守生昌の三条宅。世に横川の皮仙と云う」とだけです。

※皮仙とは、元狩人で仏門に帰依した行円のことではないかと考えられている。(『藤原行成』黒板伸夫、吉川弘文館)行円は狩人時代のある日、牡鹿を見つけ射止めると、その傷口から小鹿が生まれたのを見て改心したと言われる。そんな彼が日ごろから鹿の皮をまとっていたことから、皮仙(かわひじり)と呼ばれていました。このため「出家らしからぬ出家」という意味で用いられたのではないかと推測されています。

 

八日、新皇子の御湯殿奉仕の読書博士と鳴弦人についての指示がないとの奏上がありました。一条天皇は読書博士については今朝すでに指示したが鳴弦については聞いていないと答えていて、ちぐはぐな様子です。(『権記』)ここにも皇子誕生が全面的に貴族社会に歓迎されていないこと、定子と彼女を寵愛し続ける一条天皇に対する不満が窺えます。ただし、数えで十二歳の彰子には当分懐妊の見込みはなく、居貞親王に皇子が複数誕生している状況では、一条天皇を中心とする現政権としては、この定子の産んだ皇子を東宮候補と見做すしかなかったのです。

 

右矢印(5)ー①に続きますうさぎのぬいぐるみ