大河ドラマ『光る君へ』“勝手に解説”〜第十七回(2)ー①裳着の儀 | 愛しさのつれづれで。〜アリスターchのブログ

大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。

読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。

 

 

 

 

 

(2)彰子の裳着と国内不安

①裳着の儀

長保元年(999年)二月九日、道長娘の彰子は裳着の儀を行い、大人として扱われることになります。この時数えで十二歳。

裳着、着裳とは平安~鎌倉時代の女子に対する成人儀礼で、髪を結い上げ、初めて裳を着用させる儀式のことですスカート

※裳とは、成人女性が下半身にまとう腰衣、巻衣のことを言います。特に貴族層は袴を長く引いて衣を裾長にして着用するようになったため、裳は背面にだけ付けるだけになりました。

年齢については十二歳~十四歳ころと幅があるため、彰子の裳着が特別に早い訳ではありません。良い日を選んで行われ、目上の親族や自分より高貴な人物に裳を引腰で結びつける役(腰結)を頼みました。これは男性の成人儀礼である元服の際に冠を与える加冠の役に相当する、重要な役割でした。定子の時には当時摂政だった兼家が務めたことが記録として残っていますが、彰子の腰結を誰が行ったのかは不明です。『光る君へ』第26回で彰子の腰結を務めたのは詮子でしたたが、これはおそらく治安三年(1023年)に三条天皇と藤原姸子の娘・禎子内親王の裳着が上東門院で行われ、腰結を叔母で女院の彰子が務めたことをベースとしていると思われます。腰結の役は徳が高く、高貴で、その家にとって重要な人物であれば性別は問わなかったのではないかと考えられています。

 

腰結を誰が行ったかについては不明ですが、彰子の裳着には右大臣(顕光)内大臣(公季)以下の公卿たちが参加し、詮子からは装束が、定子からは香壺筥(こうごのはこ、香を入れておく壺=香壺を収める箱)プレゼントが贈られています。十一日、藤原行成は勅使として彰子の元を訪れ、従三位に叙す旨の勅命を伝えます。これにより、先に女御となった義子と元子よりも位階の上では優位に立つことになり、彰子の入内の準備が整いました。

 

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