大河ドラマ『光る君へ』“勝手に解説”~第十七回(1)ー④倫子への加階 | 愛しさのつれづれで。〜アリスターchのブログ

 

大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。

読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。

 

 

 

 

④倫子への加階

さて長徳四年十月二十九日、詮子は長く住まいとしていた土御門第から一条院へと移り、この時源倫子を従三位とするよう一条天皇に相談、天皇がこれを許したことが『権記』に記されています。以前第八回(4)ー②でも少し触れましたが、ここでは女性に対する叙位、加階について簡単に説明しましょうニコ

男性の貴族及び皇族には、官位相当制により位階を授けられることは知られていると思いますが、女性に対しても位階が授けられることがありました。女叙位(おんなじょい/にょじょい)と呼ばれる制度で、ただしこちらは貴族の出であれば誰でもというわけではありませんでした。内親王、后妃、後宮に仕える女性(女官、乳母など)が対象で、五位以上が与えられました。例えば定子は入内直後に従四位となっていますし、その母親である高階貴子は高典侍と呼ばれて円融朝に仕えていた時には従五位、定子が中宮となってからは正三位(永延二年十月)に叙せられました。

 

この時の詮子の要請は、これまでの倫子の働きをねぎらうものであると同時に、彰子の入内を想定して少しでも威厳を高めておこうとに考えとみられます。一条天皇の定子への寵愛ももちろんですが、元子や義子の母親の身分が高いことを考えると、十一、二歳で子どもを望めない彰子のために後ろ盾を強いものとする必要があったとみられます。(ちなみに元子と義子は共に正五位)

この年の十二月、お産の準備のころから広隆寺に籠っていた元子を行成が見舞い、そのまま参内しています。元子に参内を促したと考えられますが、彼女はこの時は内裏には戻りませんでした。そして翌年正月三日に一条天皇は定子を職御曹司から内裏に迎えるのです。

この正月三日から二月にかけてのことを記したこととして、『枕草子』には定子と一条天皇、清少納言ら女房達が冗談を言い合ったりする和やかな様子が描かれています。

『光る君へ』でも描かれた、清少納言が公任の歌に上の句を付けようとしている場面は、「二月つもごりごろに、風いたう吹きて」に見えます。その際、相談のため定子の元を訪れると、一条天皇と共寝をしていたハートというエピソードが添えられていて、このころ後の敦康親王を身ごもったと考えられています。

 

右矢印(2)ー①に続きますニコ