大河ドラマ『光る君へ』“勝手に解説”〜第十六回(4)紫式部の帰京 | 愛しさのつれづれで。〜アリスターchのブログ

大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。

読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。



(4)紫式部の帰京

『光る君へ』の中でまひろは越前ライフを存分に楽しんでいましたが、実際の為時娘(紫式部)の残した歌からは悩ましいものが窺えます。ある時、雪かきをして山のようになった所に登った人に「こちらへいらっしゃってこの山をご覧ください」と声をかけられ、

ふるさとに帰る山路のそれならば

心やゆくと ゆきも見てまし

ーふるさと(故郷の都)に帰る途中の山(鹿蒜山=かえるやま、帰山)の道(木ノ目峠)だというなら、心から「そちらへ行きます」と言ってその雪山を見ようとするだろうけれどショボーン

※訳は私訳※

と返しています。

そんな紫式部の元に何かと言っては文を寄こしたのが、藤原宣孝でした。『光る君へ』の中でも紹介されていますが、宣孝は為時の親戚筋にあたり、紫式部とは二十歳以上年齢が離れていました。それと同時に、平安貴族の中でも有名な恋愛の名手でもありました。

『紫式部集』には宣孝とのやり取りを示す和歌が収められています。(1)ー①でご紹介した「唐人を見に行こうと思っている」という手紙は宣孝のものと考えられ、それには「春は解くるものと いかで知らせたてまつらむ」という文が含まれていました。

―春は雪が解ける季節です。(あなたの心も解ける季節/その時が来たと)どうして知らせてくれないのですか?

これを踏まえて紫式部が返した歌下差しを読んでみると、

春なれど 白嶺の深雪 

いや積もり

解くべき程の いつとなきかな

―春(があなたの言われるような季節)だからと言って、(こちらの)白山に積もった深い雪にさらに雪がつもるように、

いつ(私の気持ちが)解けるのかなんて分かりませんくるくる

というニュアンスでしょうか?

気持ちのない男性に歌を返すことはありませんから、紫式部が宣孝のことを憎からず思っていたことが窺えます。

 

さて、越前下向の際には落ち込んだ感じのあった紫式部でしたが、帰京の際の歌には「都が近い!」とどこか嬉しそうなものが感じられます。

猿もなほ 遠方人の声交わせ

われ越しわぶる たごの呼び坂猿

(猿もやはりそうであるように、遠方の人と声を交わらせて難渋しているたごの呼び坂という所を、私も越しかねている)

この歌の詞書には「都の方へと帰る山を越える時に、呼び坂というひどく険しい路を輿を使っても恐ろしく」とあって、これにより帰りは木ノ目峠越えのどこかを使ったのではないかと推測する説が有力です。

さて木ノ目峠を越えてからは敦賀へ、そこからは往路とは逆に塩津へ向かったと考えられます。

名に高き 越の白山 ゆきなれて 

伊吹の岳を なにとこそ見ね雪の結晶

(名に高い越前の白山の雪の深いのに慣れてしまったので、伊吹山に積もった雪が何ということもなく見えてしまう)

と詠んだ歌の詞書には、水海(琵琶湖)から伊吹山(滋賀県の最高峰の山)にたくさんの雪が積もっているのを見たとあるため、船に乗って湖沿いに南下したと推測できます。

こうして一年と少しで都に戻った紫式部は、やがて藤原宣孝の元へ嫁ぐことになるのです。

※和歌の現代語訳は私訳ですのであしからずお願い