大河ドラマ『光る君へ』“勝手に解説”~第十五回(2)ー⑤元子懐妊と道綱の昇進 | 愛しさのつれづれで。〜アリスターchのブログ

大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。

読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。




⑤元子懐妊と道綱の昇進

実資らが眉を顰める中でも一条天皇は定子を参入させ寵愛を続けましたが、一方で元子への寵愛も続いていましたハートのバルーン

長徳三年八月ごろに元子は懐妊。『栄花物語』ではこの知らせに天皇は喜び、詮子に至っては「どの方であっても、ただ男の御子を産んでくれるなら」お願いと手放しで喜ぶ様子が描かれています。

 

長徳三年六月二十五日の『小右記』に、道綱が大納言に任じられそうだというのを聞いた実資は、その憤慨を一条天皇にも向けて

「未だ理を得ず。深く知る食さざるか」(未だに道理を分かっていない。深く考えておられるのか)ムカムカ

と記しています。このとき道綱と実資は中納言であり、大納言はその上です。自分よりも劣る(と思っている)道綱に越されることは、実資のプライドが許さなかったのです。また太政官と令外官が入り混じる状況ではあるものの、権官が多く人数制限もほぼない中納言と太政官制で左右大臣の次に位置づけられる大納言では、物事の順序を重んじ、太政官制を尊ぶ実資からすれば我慢のならないものだったのではないかと思います。しかもそれに「道長サイドからの働きかけがあったのでは」?という疑念が付けば、実資の堪忍袋の緒が切れるのも当然です。果たして七月五日に道綱が大納言に任じられると

「僅かに名字を書くも、一二を知らざる者なり」(名前を書ける程度で物事を知らない人間)

と日記で道綱を罵倒ピリピリします。この罵倒はともかくも、続けて記される

「賢を用いる世の中というのは身分の高さや低さに関わらず研鑽するものだが、今は近臣(道長を中心とする人々)が国政を行い、母后(詮子)までもがそうだ。それらに無縁の者はどうすればいいのか」ムキー

という批判は、さすがの着眼点目です。

さて同じ七月五日、筆頭大納言だった公季が内大臣に昇進します。つまり、伊周が復帰するポストがなくなったのです。こののち長徳四年(998年)十月に隆家は兵部卿に任じられますが、伊周の方はしばらく中央政治に参画するきっかけすら持てませんでしたチーン