大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。
読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。
第十一回 道長と伊周の対立
※(2)ー②、(3)は『光る君へ』第十八回以降のお話しも含むので、特にネタバレにご注意くださいm(__)m
『光る君へ』第十八回の道兼こと玉置玲央さん素晴らしかったですよね〜
藤原道兼というと寛和の変のズルイ感じと後継争いに敗れて荒んだりやっと関白になったのにあっけなく退場して不憫なイメージだったのがこんなに魅力的な人物になるとは思っていませんでした。あまり実像が分からないから作りやすかったのかなとも思いますが。
という訳で、世に名高い「七日関白」とは何だったのかから
(1)「七日関白」道兼と疫病の猛威
①道兼の関白就任
道隆の薨去により、関白の選定は再び混沌となります。決定権は一条天皇に委ねられており、公卿たちは緊迫感に包まれます。
そんな四月十二日に早くも定子が内裏に戻り、在所である登花殿に入ります。これはケガレに触れていても一条天皇が定子を寵愛したとみることもできるし、いよいよ立場が危うい兄の伊周のために、関白任命を要請しようと定子が考えていたとも捉えられます。とにかくこの定子の参内によって内裏は「触穢」状態になってしまいます。翌日の十三日には予定を変更して臨時の大祓(天下万民の罪や穢れを祓う儀式、通常六月と十二月)が行われることになり、公卿たちからは一条天皇と定子に対する不満が出始めてしまうのです
加えて伊周が次の為政者となることは、道兼や道長などの世代が政権を担う可能性を阻むことを意味するため、公卿層の反応は鈍いものがありました。内裏の触穢と道隆の葬儀、中関白家への不信感も相まって選定には時間がかかり、ようやく二十七日に右大臣・藤原道兼が関白に選ばれます。兄弟順での地位の継承が普通だったことを考えると順当とも言えるのですが、次は必ず自分だと信じていた伊周は悲嘆に暮れるのでした
(1)ー②に続きます