大河ドラマ『光る君へ』“勝手に”解説~第二回(3)嫡子 | 愛しさのつれづれで。〜アリスターchのブログ

大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。

読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。 

 

 

第二回(1)ー①と②、(2)もよろしければ ^ ^

 

(3)嫡子

 

第一回の中でも触れたように、この頃の家族の考え方に

嫡流(嫡子)は誰か

があります。

今でも本家と分家の考え方が残っていますが、この頃はもっと明確なものでした。

基本は「その時の当主が家を継承させると決めた者」を指し、それ以外は例え兄弟であっても嫡流とはみなしません。

一例を挙げるとするなら、

現代では遺産としての資産等の取り分¥は等分ですが、このころは嫡子が断然多いのです。


円融天皇の場合、父・村上天皇が自分の皇太子に指名したのは第一皇子の冷泉天皇で、当然臣下はこちらを嫡流と捉えて働きかけを強くします。円融天皇が皇太弟に就いた時も、即位してからもその考えは続いていたと思われます。この後に円融の子孫がしばらく皇位に就くのですが、それはほとんどの人が想定していなかった出来事びっくりなのです。


一方、藤原北家では違った展開が起きます。朱雀・村上両天皇に仕えた忠平の長男である実頼が嫡流でした。しかしその弟である師輔の娘・安子に村上天皇との間に子どもが三人も産まれ、自邸を里内裏として彼らを養育します。それによって自然と師輔の子どもたちの力が強くなっていきました。師輔は安子の産んだ二人の皇子の即位を見ることなく亡くなりましたが、冷泉と円融の即位によって師輔の長男の伊尹や兼通、兼家は

天皇の外戚として昇進していくのです。

では、朱雀・村上両天皇に娘を嫁したものの子どもがなかった実頼家(小野宮流)はどうだったかはてなマーク

師輔の早世により、兄の実頼が冷泉の摂政・関白となりましたが外戚ではない事実は変わらず、政権運営に苦労します。やがて摂関の職は冷泉・円融両天皇の叔父である伊尹右矢印兼通へと渡ります。小野宮流はその後も変わらず忠平の嫡流として尊重はされますが、師輔の子どもたちのような強い影響力や権力を得られなくなっていくのです。