kazuのブログ -7ページ目

kazuのブログ

サラリーマン社長のムービートラベル

1975年度作品「新幹線大爆破」のリメイクがNetflixっで放映されるらしい...。テレビやYouTubeなんかで告知しているもんやから、映画館の上映スケジュールで「新幹線大爆破」の題名を見つけてっきり「新作」やと思って観に行ったら1975年度版のオリジナル作品でした。間抜けな話やけどまあええわ、50年前の高度経済成長期に戻るのもええでしょう。畳にちゃぶ台の一般庶民の生活、キーボードやない、スイッチのコンピューターシステム、ディーゼルの貨物列車、携帯ではなく公衆電話、〝Cafe〟でなく喫茶店。ええなぁ、今の世界は我々昭和世代には住みにくい。若者がiPhoneやスマートフォンを何の戸惑いもなく操作する姿を見て全くついて行けない毎日にいら立ちを隠せない日々を送る自分にとっては何とも言えないこの懐かしさ、郷愁を覚えます。2025年度版「新幹線大爆破」の出演者は草彅君しか知りませんが、当時のこの東映の顔ぶれが凄い。健さん(高倉健)、千葉真一、宇津井健、山本圭、丹波哲郎、和泉雅子、志村喬、それに加えてちょい役で北大路欣也、多岐川裕美、田中邦衛なんかが友情出演と今の若い役者さんには失礼だが比べるべくもない、東映の超大作。高度経済成長の象徴、新幹線に爆弾を仕掛けると言うこういう作品にJRいや、当時の国鉄もよう全面協力したなと思います。それに加え、青木義郎、黒部進、田中浩二、浜田晃など時代劇で悪代官やヤクザに扮して切られまくる悪役の面々が刑事に扮して爆弾犯の健さんを追うと言うのもまた面白い!

東京発、午前9時48分のひかり109号博多行きに爆弾を仕掛けたと国鉄本社公安本部に電話が入る。職員や乗務員には「またか」と言う雰囲気が流れたが、犯人はデモンストレーションとして北海道の貨物列車を爆破して見せた。1500人の乗客を乗せた新幹線は一瞬にして緊張に包まれた。特殊発火装置を備え付けたこの爆弾はスピードが時速80㌔以下になると自動的に爆発すると言う。犯人の要求は100ドル紙幣で500万ドル。それで爆弾の外し方を教えると伝えてきた。国鉄と警察は109号以外の新幹線全線を停止させ爆発の制限速度ギリギリまで109号を減速させ博多到着までの時間を稼ぎ、犯人を突き止めようと必死の捜査を開始する。

犯人は倒産した精密機械工場の経営者・沖田、その社員の大城、そして元過激派学生の古賀の三人。人命尊重のため国鉄だけでなく内閣官房まで協力し、犯人の要求通り500万ドルを用意する。警察は現金引き渡しの際、犯人を逮捕しようとするがその度に幾度も失敗する。公安本部もいら立ちを隠せない。刻々と博多到着の時間は近づいてくる。隠し通していた乗客も徐々に気づき始め、車内はパニックになる。そんな中、警察は苦渋の決断をする。最悪の場合、二次被害を防ぐため人気の少ない山口の田園地帯で列車を爆破させる...。果たしてそれまでに犯人を捕らえ、爆弾の解除を出来るのか?乗客1500人の運命は?

 

コンピューターに管理された社会と言う走りはまさにこの新幹線だったと思います。安全のために設置されたシステムが逆に自らの首を絞めることになる。千葉真一扮する新幹線の運転士はかつては自らの腕一つで列車を動かしていた機関士さんなんですよね。それが自分の腕だけではどうにもならない。すべてがシステム管理された列車は一つ間違えればまさに凶器。これホントに国鉄がよく協力しましたよね。飛行機は今でも搭乗の際にはハイジャック阻止のため荷物の検査は無茶苦茶厳しい。けど、新幹線を始め列車は荷物の検査は今でもありません。列車内の暴挙はやはり近年に起こっています。そりゃあ、テロが横行するこの時代、車内の警備や点検はより一層強化はされているんでしょうが、自分も新幹線に使いますが飛行機に比べ厳しいなと思ったことはありません。この作品から50年経った今でも何が変わったんでしょうか?幸いにもこんな事件は今迄ありませんが見直すことも必要ちゃうかな?

今回リメイクされた作品は東北新幹線の「はやぶさ」だそう。1975年当時は東海道新幹線だけやったからね。50年経って東北、九州、上越、近年では北陸と日本列島中に新幹線が走り回っており何処に行くにしても便利になりました。高度経済成長の陰であおりを食った中小企業や集団就職で地方から出てきたものの都会に馴染めない若者、学生運動家の慣れの果て等、目覚ましい戦後復興を遂げていた日本社会の陰の部分を東映が総力を結集して描いた作品。やっぱりバイタリティが溢れています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マーベルが次に打ってきた手はかつてヴィラン(悪役)だったアンチヒーローの集団をチームにした「サンダーボルツ」。元々はヒーローたちの敵だった悪党たちがなにかの理由で善に目覚め、もしくは損得勘定で国家の元でその殺しのテクニックを使うことになる。今回の作品は消滅してしまった「アベンジャーズ」に変わるチームとして彼らが主演を張る。何といってもごたごたチーム、チームをリードするのが〝ブラックウイドウ〟の「妹」ベローナ・ベロワ。そして〝キャプテン・アメリカ〟の宿敵〝ウインター・ソルジャー〟ことバッキー・バーンズ。そして自分の権力を強固なものにするため彼らを利用しようとする悪徳政治家が〝サンダー・ボルツ〟の前に立ち塞がる。メンバーがコロッと変わっただけでストーリーは元来の「アベンジャーズ」と変わらない。とてつもなく強い「悪」がやって来て人々を恐怖のどん底に叩き落す。そんな強大な悪に涙涙のチームワークで立ち向かう。ただ一点、小悪魔だけどフローレンス・ピュー扮するベローナ・ペロワ、彼女だけは光ってます。ロシアで少女の頃から暗殺者として政府の養成機関から育てられてきた彼女、「姉」と違ってまだ未熟な少女としての弱さを見せる。けど少々のぽっちゃり体型をボディスーツで引き締め悪漢どもに華麗な身体能力で立ち向かう。可憐、キュート、社会派作品や少々異常性を持った作品など若いのになかなかの演技派だった彼女の新たな魅力が異彩を放った作品でした。

今は無き〝ブラック・ウィドウ〟の妹でロシアのスパイ養成所、レッドルームの出身者エレーナ・ベロワは今、アメリカのCIA長官ヴァレンティーナのもとで働いていた。破壊工作、暗殺、幾多の「汚れた仕事」を請け負っている。エレーナはヴァレンティーナの指令を受けて研究施設へ向かう。施設では得体のしれない人体実験の資料が残されていた。だが突然、何者かに襲われる。襲ったのは2代目キャプテン・アメリカになり損ねたジョン・F・ウォーカー、そして今度は彼を狙って、タスクマスター、彼女を狙ってゴーストとかつてのヴァレンティーナのもとで働くかつてのヴィラン、暗殺者たちが次々と施設へ現れる。そしてもう一人、謎の青年ボブも研究室にいた。非合法な作戦を独断で推し進めるヴァレンティーナは議会の追及を逃れるため実験の資料ごと暗殺者たちを始末しようとしたのである。その結果、タスクマスターは倒れ、施設ごと爆破されようとした瞬間、残った4人は、間一髪のところで脱出、だがボブだけが捕らえられた。

逃亡した3人を助けに来たエレーナの父、ロシア版キヤプテン・アメリカの〝レッド・ガーディアン〟アレクセイの車で逃亡。だがヴァレンティーの追手が迫る。その時、助けてくれたのは〝ウインター・ソルジャー〟ことバッキー・バーンズだった。超人兵士から政治家へ転身したバーンズだったがヴァレンティーナの横暴を止めるべく、彼らに協力することになったのだ。彼らは自分たちを〝サンダーボルツ〟と名乗った。それはエレーナが子供の頃、所属していた一度も勝ったことがないと言うサッカーチームの名前...。

5人はニューヨークのヴァレンティーナのもとへ向かった。だがそこには驚くべきことにあの気弱な青年ボブの姿があった。研究施設にあった人体実験の資料はキャプテン・アメリカよりも強力な超人兵士を作り出すべきもの。そしてボブはその人体実験の結果、生き残った人間だった。だが超人的な肉体を手に入れた代わり、ボブの心の闇が暴走し始める。

 

エレーナを演じたフローレンス・ピューはあの超胸糞映画「ミッド・サマー」の特異な宗教、村社会に巻き込まれる女子学生を演じて一気に注目。その後、「ブラック・ウィドウ」でスカーレット・ヨハンソンの妹、本作のキャラクター、エレーナ・ベロワに抜擢され、続いて出演した作品が「ドント・ウォーリー・ダーリン」で究極の監視社会を異常な世界で精神崩壊の危機を迎える妻を演じました。異常な社会、状況下に置かれた女子学生や若妻を演じた彼女はほんとに演技派、本当に芝居のうまい女優さんでしたが今回、こんな娯楽作品で見事なアクションも披露してくれてくれるとは今後、彼女には捌ききれないほどの多数のオファーが来るやろね。

作品の中でのエレーナは亡き姉への思いや、家族が欲しいと言う孤独感に苛まれます。エレーナの家族は実はロシアがスパイとして送り込み、偽装家族としてアメリカに潜伏させた面々です。勿論、皆は偽りの家族として招致していましたがエレーナだけは潜伏し始めたころまだ子供だったからみんな本物の家族だと思っていました。だから本当は孤独で家族が欲しい、寂しがりやな殺し屋です。なんか彼女にぴったりだわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

監督ロバート・ゼメキス、主演トム・ハンクス、ロビン・ライトとくれば、あの「フォレスト・ガンプ一期一会」(ただ、自分にとってのロバー・ゼメキス最高傑作はやっぱり『バック・トゥ・ザ・フューチャー』)のトリオです。この3人が、場所と時の流れをテーマに全く新しい映画を撮りました。「HERE 時を超えて」はただ、ただカメラは一点の場所だけをとらえ、そのカメラの中で時間だけが通り過ぎていきます。〝HERE〟ここ、この場所だけをラストまでカメラは撮り続けます。長い年月の中、喜びも悲しみも「この場所」は何も言わず、通り過ぎていく人々を見つめ続ける。それだけで2時間のドラマが完成するんですね。やっぱり傑作、心に残る作品を観ている者に提供する監督は何か違います。

地球が誕生し、恐竜たちが闊歩する「その場所」はやがて火山が爆発し溶岩に覆われ、そして氷河期を迎える。長い年月が流れ、そこには緑が芽生え、木々が生い茂り、花が咲く。やがて人類が登場し、男と女が出会い子孫が繁栄していく。やがてその土地は幾多の戦乱を経て独立国家の一部となる。そして開拓者たちの手によって初めてその地に「家」が建てられる。

2度の世界大戦中、この家に入居したのは飛行機好きのジョンとポーリーンの夫婦。まだ物珍しい飛行機に夢中になるジョンにポーリーンは心配で仕方がない。やがて2人の間には女の子が誕生するがジョンが病気で他界、ポーリーンと娘はその家を去って行く。その後に入ってきたレオとステラは個性的で発明好きな夫婦。約20年の暮らしの後、ある成功を経て新世界を求め旅立っていく。そして大戦の終了後、この家にやって来たのが負傷して帰還した元軍人のアルと妻のローズ。2人の間に誕生した長男リチャードがこの物語の中心人物である。彼は画家志望であったが高校時代に知り合ったマーガレットと恋に落ちる。彼女は弁護士志望であったが妊娠が発覚。10代で2人は結婚することになりリチャードの両親とこの家で同居することになる。2人の間にはヴァネッサと言う娘が誕生。リチャードは画家の夢を捨て保険会社に就職する。ヴァネッサが小学校に上がる頃、マーガレットは自分たちの家を持ちたいと言い出すようになった。だが何かにつけてリチャードは理由を付けて拒み続ける。2人はわだかまりを持ちながらも時間は過ぎて行く。感謝祭、クリスマス、バースデイ...幸せな時間と共に家族との永遠の別れ。悲しみの時もまたやって来る...。

 

カメラは「そこ」から離れません。物語の中心はリチャードとマーガレットの夫婦ですが2人の時間を描きながらも時はオーバーラップします。まだ森林しかなかった時代にその地で暮らす原住民。そして新たに生まれた独立国で国家を建設していく過程。戦乱、世界大戦...入れ代わり、立ち代わり、その家にやって来る人々。中心はトム・ハンクスとロビン・ライトが扮するリチャードとマーガレットの夫婦。トム・ハンクス68歳、ロビン・ライト59歳、2人はティーンエージャーから老齢期までをリアルタイムで演じています。凄いですよね、現代の映像技術。CG画像って言うの?10代の頃の2人そのまま。いくら技術が凄かったって10代が飛んだり跳ねたりする姿は68歳と59歳には大変です。2人の演技力には感服します。そしてCG技術と言うのは何もSF映画やアクション映画、オカルト映画だけに使われるものではないと言うことを証明したと思います。こんな使い方もあるんやねぇ。

「そこ」は生命の誕生、死滅を見つめ、また新たな生命の誕生を見つめてきました。荒野に緑の息吹が芽生え、人類がその大地に立ち、生活し、死を迎える。それが何千年の間繰り返され、形を変え文明は進化し時には間違いを犯し、人々は現代に至っています。なんかうまくは言えないけど観終わった今、なんかノスタルジックに浸ってしまっている自分がいます。