「シサㇺ」と言うのはアイヌ語で「隣人」と言う意味だそうです。当時、蝦夷地と言われた北海道の沿岸地域にいくつかの集合体=部落を作って暮らしていたアイヌの人々によって「隣人」とは日本最北端の大名であった松前藩、如いて言えば日本の民のことだと思います。物語の冒頭に「この物語は実際に起った史実を元に作られたフィクションです」とあります。歴史上の史実とは「シャクシャインの戦い」。1669年に蜂起したアイヌの族長シャクシャインが反乱、松前藩との抗争となりました。まあ当然の如く圧倒的な武力の差でアイヌ側が敗れたわけなんですが、これが江戸時代前期4代将軍家綱のご時世です。国の大乱が終息し、ようやく太平の世の中が訪れようとした、そんな時代背景です。
物語は松前藩の若き藩士の目を通して展開していきます。武家社会で武士の誇りを叩きこまれて育ってきた彼が初めて見るアイヌ民族。そこには武家社会とは全く異なる生活、習慣、価値観がありました。穏やかで「神居(神様の宿るところ)よりほんの少しお借りしたこの大地」でただ、ただゆっくりと流れていく時を生きていく。だが突然その生活が脅かされることとなります。本当はだれが一体悪いのか、なぜ殺し合わねばならないのか、若き藩士はある決断を下します。
江戸時代、最北端の地、松前藩は主に蝦夷地との交易が国の財源となっていた。若き藩士、高坂孝二郎は初めて蝦夷地との交易に向かうことになった。剣の師範である大川からは「蝦夷に不穏な動きがある。充分気を付けるように」と助言を受けた。経験豊かな兄・栄之助に同行する形ではあったが初めての蝦夷地への慣れない旅はまさに苦業であった。そんな中、蝦夷地の民、アイヌ民族との交易の糧となる米俵が普通より小さいことに気づく。栄之助は「不作で米の値も上がっているのだ。仕方があるまい」と言う。
その夜、彼らに同行していた高坂家の奉公人、善助により栄之助が殺害され米蔵に火が放たれる。悲しむ間もなく、武士の習いにより孝二郎は敵を討つため善助を追った。伊助と言う船頭を道案内に蝦夷の奥地に入り込むが、まさに未開の地。果てしなく続く密林の中、捜索は困難を極めたが遂に善助を見つける。だが孝二郎は返り討ちに会い川に流されてしまう。下流に流れ着いた彼を見つけたのはアㇰノを長とするアイヌ部落の者たちだった。彼らの手厚い介抱により孝二郎の傷は治癒し回復に向かった。全くわからないアイヌ語だったが長のアㇰノとその娘ヤエヤㇺノだけは日本語が話せた。アイヌたちは日本人を和人と呼び概ね穏やかで孝二郎に対しては友好的であったが中には和人に対して快く思わない者たちもいた。その中に村の外れに一人で住む女性リキアンノがいた。彼女は村から「変わり者」と言われていたが別の部落で和人に夫を殺された経緯があり和人を嫌っていた。
孝二郎は助けてくれたお礼がしたいと川での鮭漁を手伝った。アイヌと寝食を共にするうちに言葉も覚え彼らに心を寄せるようになった。そんな孝二郎にヤエヤㇺノは思いを寄せるようになる。だが孝二郎には「善助を討つ」と言う使命があった。
孝二郎がそろそろ村を去らねばと思い始めたころ別の村の長たちがアㇰノを訪ねてきた。他の村のアイヌが和人との不平等な交易に遂に怒り蜂起したと言うのだ。彼らはアㇰノに協力を求めてきたがアㇰノは共に戦うことを拒否する。だがリキアンノら和人を嫌う者たちが孝二郎の刀を奪い村を飛び出した。孝二郎は後を追う。すると孝二郎を斬った後、熊に襲われ深手を負った善助がリキアンノに匿われていたのだ。善助は松前藩の不正を探っていた津軽藩の密偵だったことを告白する。部落は心ならずも松前藩との戦に巻き込まれて行く...。
正直、物語してはなんか盛り上がりに欠けるし主人公、孝二郎を演じた役者さんもインパクトが薄く、作品自体はイマイチかなと思いました。松前藩の描き方が希薄かな。しかし、この作品を観てアイヌの歴史や松前藩との関係や当時の幕府と松前藩、蝦夷地との関りを調べてみよう、覗いてみようと言う気になるいいきっかけになったような気がします。史実ではもともとアイヌ民族の部族間の争いごとを松前藩が仲裁に入って行ったことが戦争のきっかけになったとのこと。武器を貸したと貸さなかったとか...。だからこの作品で描かれているようにすべての部落が隣人を愛し、平和を好み、助け合ったとかそんなんでもなかったような気がするんやけど...。まあけど松前藩が色々とちょろまかしてたんは事実のようやな。
つい最近、と言っても5年ほど前なんやけど「アイヌ新法」と言うのが成立しました。まあ言うなれば、彼らを「先住民族として認定し、アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現しよう」とするものだそうです。うーんそれはそれでええと思うんやけどなんかきな臭い。もともとそんなに差別されたんかなぁ。大戦後、当時日本領だった南樺太にいたアイヌたちは日本軍に強制され北海道にやってきたと訴えてる人がいるようですが実際にはこのままソ連領となる南樺太にとどまるか日本軍と共に北海道へ移るか選ばされたそう。自分たちの意思で北海道へ来たそうですよ。スターリンの卑劣極まりない終戦後の日本侵略計画はこのブログで今まで何度も書きましたがここでもやはりこの悪の帝国は登場するわけです。差別だ、虐待だとアイヌの一部が騒げば「おお、かわいそうに、このロシア様が日本から守ってあげる」と参上してくるわけです。するとどうなります?現にプーチンは「アイヌは我同胞」なんて言っとるじゃありませんか。まあ、南樺太からやって来たアイヌの方たちはロシア人に占領されるとどうなるかわかっとったんやろね。だからこのアイヌの問題は差別だ、虐待だなどと簡単な問題ではなくなってくるわけです。
しかしこの作品はそんな近代史よりもずっと前の話、もっと遡ればアイヌ文化が存在したのは9~13世紀ころだとも
言われています。北海道には当て字に近いアイヌ語に由来する地名がたくさん残っています。厚岸(アッケシ)、積丹(シャコタン)、長万部(オシャマンベ)etc...本州じゃこんな読み方しませんからね。大事にしとると思うんやがなぁ。先日、北海道の添乗でウポポイと言うところへ行ってきました。昔は白老アイヌコタンと言ったんですがこれもアイヌ新法の影響か、ウポポイ=民族共生象徴空間といって敷地内はアイヌのチセ(住居)が点在しアイヌの民族舞踊なんかをやつていてものすごくきれいなテーマパークのようになっています。昔は檻の中にデッカイ羆がおったりしたんやけど、あの熊どこ行ったんやろ?ともかく色々な事勉強するきっかけにはなりました。勿論、アイヌの方たちを差別したりするつもりは毛頭ないし、彼らの文化、習慣は絶対に尊重しなければならないと思います。けどね、どんなことにも絡んできてちょっとでも他国の領土を侵略、かすめ取ろうとする盗人国家が日本の周りには2、3あります。それをお忘れなく、ロシアや中国なんかの領土になりゃあ、やれ差別だ、権利だなんて言ってられんのやから...。