なんでここ三週ほど痛烈なインパクトのある作品ばっかり観てるんやろ?こりゃ強烈でした!それもそのはず、監督ポールバーホーベン。この人自身が強烈な人です。オランダからハリウッドへ渡ってくるなり「ロボコップ」「トータルリコール」「氷の微笑」「スターシップトゥルーパーズ」...どれもこれもヒット作と同時に物議を醸しだした作品です。暴力描写、性描写、超過激です。このあと「ハリウッドはがんじがらめ、好きなように取らしてくれへん」と言ってヨーロッパへ帰ってやりたい放題にやっとるおっさん、いや爺さんです。御年85歳。本作「ベネデッタ」を撮っていた当時は83歳くらいでしょうか?元気です。今回何をしでかしよったかと言うと...ぶっちゃけて言うとキリスト教、如いてはバチカンの冒涜。冒涜と言うと語弊があるかもしれんけど自分にはそう映ったね。けど彼同様、自分も無神論者なんで無茶苦茶面白かった。物語は17世紀のイタリア、ペシア(現在のトスカーナ地方ですね)。実在した修道女を描きます。彼女は「キリストの花嫁」「聖女」として人々に崇められる一方、当時は「大罪」とされた「同性愛」の罪で宗教裁判にかけられます。彼女は果たして本当に「聖女」だったのか、それとも稀代のペテン師だったのか...。時代はコロナ、いや違った、ペストの猛威を背景に、過激な性描写を描く一方、権力闘争に明け暮れるバチカンの権力者たちの姿が赤裸々に...。熱心なキリスト教信者の方たちには怒り心頭の作品でしょうな。
17世紀のイタリア・ペシアのテアティノ修道院へ一人の少女が入る。ベネデッタは幼いころから聖母マリアと対話し、奇石を超すと言われていた少女だった。18年後、純真無垢なまま成人したベネデッタはある日、修道院へ父親の暴力から逃げてきた若い娘バルトロメアを救う。その日からバルトロメアはベネデッタの世話の元、修道女見習いとして修道院に入る。ベネデッタは夢に出てくるイエスキリストに「私の花嫁」と告げられ「自分はイエスの花嫁」と信じていたが修道院で共に暮らし、何かとベネデッタに触れてくるバルトロメアに心かき乱され、信仰心とバルトロメアに対する感情に苛まれる。
ある夜、彼女の夢の中へ再び磔にされたイエスが現れ「私に体を重ねるのだ」と命じられ言われるままにすると眠っている彼女の体に激痛が走った。その日以来、彼女は激痛に苦しめられ、その悲鳴は町中に響き渡る。ベネデッタの世話をバルトロメオが務めるようになったある日、ベネデッタの手足から血が流れだす。「聖痕」だと修道女たちは平伏し、街の人々は聖女と崇めたが、修道院長シスターフェリシタとその娘、修道女クリスティナは疑惑の目を向ける。だがこれをバチカンにおける出世の道具に使えると感じたペシアの司祭はシスターフェリシタを修道院長の座から引きずり下ろし、ベネデッタを修道院長の座に就けた。若くして院長の座に就いたベネデッタは聖女として町中の人々のからの信仰心を一身に受けるのだが世話役としてそばに置いたバルトロメアと遂に一線を越えてしまう。
母を院長の座から引きずり降ろされ、怒りを抑えきれないクリスティナは遂に皆の前で彼女を告発する。だが根拠がないことを理由に彼女は皆の前で辱めを受け、遂には自らの命を絶ってしまう。シスターフェリシタの憎悪の目はベネデッタに向けられた。彼女はペシアよりフィレンツェに向かい、教皇大使ジリオーリにベネデッタとバルトロメアの禁断の恋を訴え出る。全土でペストが猛威を振るっている最中だった...。
ヨーロッパではすでに2年前に公開された作品です。コロナの真っ最中ですよね。背景がペストの作品です。よう公開しはりましたなあ。3人の女優さんの熱演でほんとに見ごたえのある作品でした。今じゃLGBTだ、トランスジェンダーだ、マイノリティだと活字が闊歩しておりますがそんな言葉もない時代、婚姻がどうだとか生産性がどうだなんて言う前に同性愛って犯罪やったんやね。LGBT法案がどうやったて言う前に「こんな時代があったんやっ」て言うてみたい。別に差別するつもりもないしそういう方には普通に接しますが人間の原則を根本からひっくり返すって言うのはどうなんやろね。
3人の中でやはり主演のヴィルジニーエフィラって女優さんこの時、40代半ばでしょ。凄いですよね。この若々しさ。どことなくシャロンストーンに似ています。バーホーベン監督は好きなんやろね、こう言うブロンドが。それからシャーロットランプリング、あの「愛の嵐」の神秘性は健在です。
この物語は実話をもとに作られています。最初、シャーロットランプリング演じる修道院長の元に父親がまだ幼いベネデッタを預けようとした時、教会に収める金を値切ろうとします。それを修道院長が一喝。預ける方も預ける方なら、預かる方も預かる方。どちらも善人でないことがわかります。次に登場する司祭は自らのバチカンにおける地位向上ばかりを目論見、ペシアの修道院から聖女が現れたと沸き立つ民衆心理とベネデッタを利用することを考えます。娘の死によりベネデッタに報復しようとした修道院長の訴えを聞いたフィレンツェの教皇大使はこれ以上のベネデッタの神格化は自らの地位を危うくすることになると彼女を「同性愛」の罪で、いわゆる魔女裁判にかけようとします。そのためにバルトロメアにかける拷問が「これが教会の重役さんがすること?」って言うようなとんでもないものです。そして肝心の「聖女」であるはずのベネデッタはバルトロメアとの愛欲に耽ります。バルトロメアはベネデッタが子供の時、自らの守り神のとして修道院に持ち込んだ聖母マリアの木彫りの像を削り..まあなんというかその像をですね..バチあたりな使い方のために..ヘンな形に変えてしまう訳です。ベネデッタは怒りもしない。まあおよそ神の僕とは呼べないような者たちがバチカンの御膝元にるおるわけです。実際にどうやったかは知りまへんでー。けど神に仕えるものたちの間で権力闘争と言うものはあったようで。決して成人ばかりではないと言うことは他の映画でも昔から描かれているし、現代にいたってもとんでもない神父さんなんかもいるようです。ほんの一握りやろうけどね。けどこんなことを語るのはキリスト教が大勢を占めるアメリカやヨーロッパではタブーです。それをまあどうどうとこのバーホーベンの爺さんは...恐れ入りました!