最後のサムライ...ラストサムライですな。
河合継之助の名は幕末の武士たちのビッグネームに交じって何度も耳にします。坂本龍馬、西郷隆盛、桂小五郎、吉田松陰...この辺のビッグネームは何をやったかっていうと大体わかります。けど、名前よく聞くけど具体的に何をやった人かってえとイマイチ知らん人でした。けどこの人の果たした役割は歴史玄人の間では結構評判高いんですよね。で、いよいよこの「峠 最後のサムライ」でご対面となるわけですが、小藩、長岡藩の家老。希望は小藩、長岡藩が独立国家として認めてもらうこと。ことを起こす前にすべてわかっていたんですな。すべて「無理」だってことを。けどあくまで中立。何とか皆に降り下ろした刀を納めてもらいたい。卑屈なまでの戦争回避論、時の大きな流れも、時代の変化も、そして結末もわかっていて敢えて貫いた忠義。死人は出したくない。良民の安寧を願い続けた彼もまた、幕末の戦火に散っていきます。
物語は第15代将軍徳川慶喜の大政奉還から始まる。日本列島の諸藩は旧幕府軍の東軍、維新新政府軍の西軍に別れ鳥羽・伏見の戦い以降、まさに260年後の「関ヶ原」が始まろうとしていた。戊辰戦争の勃発である。
越後の小藩、長岡藩はあくまでも武装中立として戦を避けようとしていた。だが、あくまで徳川幕府のせん滅、慶喜の首を要求する維新軍は徹底抗戦を主張、交渉は決裂し、藩主長岡雪堂が全幅の信頼を置く、家老河合継之助の一抹の望みもむなしく散り小藩、長岡藩は圧倒的戦力を誇る維新軍と相まみえることになる。妻を愛し、藩に、徳川に忠義を尽くし、最期まで武士であることを臨んだ河合継之助の指揮の元、絶対不利の状況下で長岡軍は死に物狂いの戦いを繰り広げる。一度は落とされた長岡城を奪還し、知力、戦力を駆使し、ゲリラ戦で維新軍を退け、獅子奮迅の戦いを見せる。だが砲弾、銃弾の雨の中、継之助がついに負傷する。終焉の時が刻々と迫っていた。
丁度この作品が公開された頃、重信房子と言う極悪女が刑期を終え出所しました。勿論ご存じの方は多いと思いますが昭和のテロリスト集団、連合赤軍の元リーダーです。この作品を観終わったときなぜかこの名が浮かび上がりました。日本を変えたい、という思いと日本が変わっていく中で自らがなすべきことは何か、歪んだ使命感と、純粋なまでにまっすぐな使命感。なんで同じ日本人でこうまで違うのか。方や変革のためには他人の命をも犠牲にすることを何とも思わない者、方や変革されていく中で自らの命を捨てても必死で他人の命を守ろうとする者。正直、私の小学生のころは他国の人々に対して恥ずかしい思いがありました。そして大人になって河合継之助を知った時、日本人であることに誇りに思いました。方や以降の日本のために生きていれば必ずしや日本のために働いてくれたであろう人と、多くのテロ事件にかかわりながらのうのうと生き長らえ大手を振って反省のかけらすら感じられない、クズ以下のテロリスト。何かが間違っていると思うのは私だけでしょうか?ある新聞か雑誌の記事でこういうのを見ました。
「罪を償って出てきたのだから警察や公安は彼女を追い回すべきではない」
冗談やない!この女を神輿として担ぎ上げまたぞやよからぬことを考え出す輩がいないとも限らない。本来なら死刑、無期懲役が何の冗談か懲役刑を終えて出所してくる、それをアナーキストたちのアイドルのごとくあがめる奴ら。今、日本は大変な時期に差し掛かっています。なのにこんなのに引っ掻き回されたら真面目に生きている人間はたまったもんじゃありません。こんなド阿呆記事を書いたバカ記者はこいつらの手にかかって死んだ人たちの遺族の目を見てこんなこと言えるんですか? だから日本のマスコミはマスゴミと言われるんです。
まあ、いつものごとく話が大きく大きく、右旋回してしまいましたが河井継之助という名前覚えておきましよう。まあ新潟市内では長岡藩を滅亡に追いやったものとして批判する声も少なくはないですが、当然真逆の評価をする人たちもいます。しかし敵軍の将であるはずの西郷隆盛が「河井継之助は得易からざる人物である。不幸順逆途を異にしたので賊名を負うて斃れたがもしも今日世にあるならば、台閣にたつべき一人である。確かに一代の傑物である」と評したようにやはり日本が誇るべき人物だと思います。皆、生き方を学びましょう。