年が明けてひと段落。と思ったらまたコロナ、オミクロン、コロナ、オミクロン...。尾身っておっさん、このおっさんがテレビに映りだすとろくなことがありまへん。何度も言うようやけどこの二年間あんたら何やって来たんや?この分科会とやらはよ解体してって。ワシらに仕事させよー。とまたまた嘆く我々の業界ですが、この時期になると映画界はそわそわし始めます。そして年末年始のお正月映画と違って我々にじっくりと観せる内容の濃い、素晴らしい作品が続々やって来るのもこの時期です。なんでかってぇとアメリカ、エンターメント業界最大のイベント、アカデミー賞授賞式が近づいてくるから。お正月映画が派手なシリーズもんが多いのに対しアカデミー賞候補になる映画は玄人好みの心に残る社会派ドラマ、感動作が多いのです。私的には昨年、一昨年とあんまりぱっとせん作品が多かったんですが当然、一昨年初頭から世界中に吹き荒れるコロナ禍の中、映画関係者の方々のご苦労はご心中察するに余りあります。そんな中で今年のアカデミー賞候補に挙げられる一作、この「コーダ あいのうた」は久々に魅せて頂きました!出演者にビック゜ネームは全くないものの笑わせて、感動させて、小作ながらほんまええ映画でした。「コーダ」って言うのは聴覚障害を親に持つ子供たちのこと。この物語のヒロイン、女子高生のルビーは両親と兄一人の4人家族。だけど漁師業を営む一家はルビー以外は皆、視聴覚障害を持っています。健聴者はルビーだけ、当然のことながらしっかり者の彼女は家族に頼られっぱなし。彼女の夢は?家族の在り方とは?なんか重ーい、重ーい、テーマのようですがこの家族が皆、あっけらかんとして笑わせてくれて、この家族の中で奮闘するヒロイン、ルビーの姿に思わず掛け声を掛けたくなるような作品です。
漁師町に住む女子高生のルビーは両親と兄の4人暮らし。だがルビー以外は聴覚障害を持っており健聴者はルビーだけ。そのため漁師一家の家族からは頼られっぱなしで毎日早朝,父と兄と一緒に漁に出てから学校へ行くというハードスケジュール。学校では居眠りで先生に怒られたり、家族のことを一部の生徒からバカにされたりはしているが奔放な親友のガーティーと結構楽しい学園生活を送っている。そして家に帰れば何事もあけっぴろげで仲のいい父と母がいる。父のフランクは強面だが優しいし、家を守る母のジャッキーは底抜けに明るい。そして喧嘩友達のような兄のレオは根は妹想い。手話でしかコミュニケーションをとれなくてもそこそこ幸せなのだ。だが彼女にはだれも気付かない一面がある。それは彼女の抜群の歌声...。毎朝、船上で誰にも気兼ねすることなく大声で歌ってはいるが同乗している父と兄には当然聞こえない。
新学期が始まったある日、以前から密かに思いを寄せるマイルズが合唱クラブに入部するのを見たルビーはとっさに自分も入部してしまう。だが一人ではなかなか人前で歌うことが出来ない。だが一計を案じて彼女の歌声を引きずり出した顧問の音楽教師ヴィラロボスは彼女の歌声に才能を見出し音楽大学の受験を薦める。ヴィラロボスの自宅で個人レッスンを受けることになったルビーは同時にとマイルズと共に今度行われる発表会で主役に抜擢される。もうルビーは有頂天だった。
だが折も折、政府政策による漁獲量制限や仲介業者による買い叩きで困窮する漁師たちの死活問題が表面化していた。父のフランクと兄のレオが先陣を切って組合を発足。直接、販売店に魚を売るというシステムを作ることになり一家は多忙を極めた。当然それは手話を必要とする彼らにとってルビーの肩にも重くのしかかってきた。個人レッスンも疎かになりヴィラロボスにも叱責される。ついにルビーの我慢は限界に達し怒りが爆発、ルビーは漁業の手伝いをすっぽかしてしまう。運悪く、その日は政府の調査員が船に同乗する日。聴覚障害の父と兄だけが乗船する船に同行した調査員の報告によって一家に乗船禁止命令がだされ、漁業免許が剥奪されてしまう。免許を再発行してもらうためには健聴者の同行が条件...。夢か、家族か、ルビーは二者択一の岐路に立たされる。
娘が隣の部屋にボーイフレンドといるのに野獣のような咆哮あげて昼間っからおっぱじめる父と母、片や聴覚障害でもマッチョな兄は妹の親友と...。なんとも明るく元気で「耐え忍ぶ障害者」ってイメージは描かれてません。けど、それもこれも自由奔放な暮らしが出来るのもしっかり者の健聴者の娘が家族を支えてくれるから。
こんな事は言うべきじゃないかも知れないけど、私も何度か障害者の方と出くわしてお手伝いさせてもらうことがありました。中には「ありがとう」の一言も言わずそそくさと行かれてしまう方もいらっしゃいます。お礼を言って貰うためにやってるわけじゃないけど、ふーんそんなもんかって思ってしまうのはどうかな。「やって貰うのが当然」「当たり前」って思われるのはやっぱり抵抗感があるし...。勿論、健常者の我々が感じられない苦痛があるのは重々承知やけど、そして一歩健常者の方が譲らないといけないのも百も承知やけども、もう少し障害者の方と健常者、お互い住みよい世界にならんでしようか?この映画観て、そんなこと感じる私は根性が悪いんかな?
この作品、視覚障害者の役には視覚障害をもつ役者さんと、父親のフランク、母親のジャッキー、兄のレオには実際の視覚障碍者の役者さんが望んでおられます。だからリアリティと言うか本当の姿と言うか視覚障害者や聾唖の方の生身の苛立ちや喜びがひしひしと伝わってきます。そして家族の中で唯一の健聴者ルビーの「私だけが疎外感を感じるときがある」って言うその言葉も胸に響きます。
ルビーが発表会で歌う時、彼女の素晴らしい歌声は家族には伝わらないんですよね。感じるのは目で見える周りの反応だけ、それだけで彼女のすばらしさを感じ取れる。だけど父親はそれだけじゃ我慢できなくて家へ帰ってから彼女の喉にそっと指を押し当て、「もう一度歌ってくれって」言うんです。その指に伝わる感覚で本当の娘の歌声のすばらしさを感じ取るんです。涙を流しながらね...。素晴らしいシーンです。
そして音大の大きな受験会場の中、数人の教師が観ている前でポツンと彼女が舞台に立って歌います。立ち入り禁止の会場にこっそり忍び込んだ両親と兄に気づいた彼女が歌いながら手話を交えます。ええなー、いいですよ、ほんまにいいです。家族の一人に大声援を送る。声が出なくともね。
最後に母親役を演じたのがマーリーマトリンと言う女優さん。実は彼女、1986年のアカデミー賞でなんと主演女優賞を獲得しています。「愛は静けさの中で」って言う作品なんやけど、聾唖学校で清掃員をする若い娘で赴任してくる教師と恋に落ちる役どころなんですが受賞した時のスピーチは当然手話。会場は拍手喝采でした。この作品のように彼女たちの場合、役どころは限られてきますが久しぶりでも普通に女優さんやってます。懐かしかったな。綺麗な女優さんでした、35年前。それが高校生のお母さん役ですか、時の流れを感じます。こんな風に障害を持つ人でも自らの力だけで、自分の好きなことをやって暮らせる。それが理想なんでしょうね。