山田洋次監督って凄いですよね。89歳ですよ。60前でアップアップしてる私とはわけが違う。やっぱり、日本の名匠の一人に上げられるんですよね。でもね、私、やっぱりこの人が名匠として褒めたたえられるのは渥美清さんの力なくしては語れないと思います。よく、山田洋次がいたから渥美清が生きたなんて言う人がいますが逆だと思います。正直、渥美さんが亡くなられた後の山田監督の作品ってやっぱり、物足りなさというか、一種、虚無感と言うか、どうしても感じてしまうんですよね。89歳にして作り上げたこの「キネマの神様」ですが、これ自分の集大成にしようと思っているのかなとも感じられます。この作品、最初の主演は志村けんさんでしたよね?それがコロナで亡くなられて友人だった沢田研二さんが代役に立っててなったんですけど、私は志村さんの前にどうしても渥美さんの面影があったように思えてなりません。
ゴウこと円山郷直はアルコールとギャンブルに溺れ、妻の淑子や娘の歩のお荷物となっていた。彼の唯一の話し相手は孫の勇太と今は町の小さな映画館の館主となっている、親友のテラシンこと寺林新太郎。ゴウとテラシンはかつて映画の撮影所で働く助監督と映写技師であった。二人は仕事が終わると夜ごと、撮影所近くの食堂で、看板娘だった淑子やスター女優の園子、そして撮影スタッフたちに囲まれ映画について語り合い、いつかは後世に残る作品を作ることを夢見る仲間だった。若き日の二人の姿が蘇る....。
ゴウは名監督の出水らに仕える助監督。テラシンは映写技師として撮影所で働いていた。ゴウの夢は自分の書いた脚本を自らの手で監督すること。ゴウの思い描いた脚本、その作品の名は「キネマの神様」。テラシンはそんな才能を認める一人だった。二人はお互い、食堂の娘、淑子に思いを寄せていたがゴウはそんなそぶりを見せない。テラシンは思い切って淑子に思いを打ち明けるが、淑子が心を寄せているのはゴウ...。そんな時、ゴウに初監督という幸運が舞い込む。作品は勿論、自らの脚本、「キネマの神様」。主演はスター女優の園子。だが、撮影初日、ゴウは極度の緊張と作品に対しての入れ込みすぎで周りの撮影スタッフと軋轢を生み、あろうことか自らが大怪我をするという失態を犯す。撮影は中止。失意のままゴウは撮影所を去ってゆく。そして淑子は周囲が止めるのも聞かずゴウを追って行くのであった...。
そんな夢を追い、夢に破れてから、約50年の歳月が経った。ろくでなしの年寄りになり果てたゴウに孫の勇太が言う。
「おじいちゃんには才能が有ります」
勇太が手にしていたのは一冊の古ぼけた脚本。表紙には「キネマの神様」とあった。
「これは面白い!この脚本を現代風にアレンジしよう」
ゴウが脚本を読み、勇太がパソコンに打ち込む。祖父と孫の共同作業が始まった。狙うは脚本大賞...。
ジュリー(この言葉も死語かな)を見てて違和感を感じました。これはなんかちゃうかな?正直、大変申し訳ないけど志村けんさんがやっていたとしても違和感を感じたと思います。もし渥美さんが生きていたらこの役、渥美さんだったかなって。ゴウのセリフの言い回しと「今に見とけ、いつかは俺は...」ってスタイルはどうしても寅さんなんですよ。映画が好きな寅さんが夢破れて、年取って、どうしようもないろくでなしになって人生の最後を迎えた時...。このゴウかなって思ったんですわ。あくまでも私の私感です。だけど、主人公の若き日のゴウにセンチメンタリズムを否定させておきながら、その実、思いっきりセンチメンタリズムな作品を描いているのは山田監督らしいかな。
こう、色々思うと山田洋次監督って人情喜劇をたくさん撮ってらっしゃいますけど、今まで監督の手腕で役者が生きたって思ってたんやけど役者のおかげで山田監督の手腕が生きたんじゃないかと最近思うようになりました。勿論、「男はつらいよ」シリーズは素晴らしいと思います。そしてもう一本、やっぱり日本映画史に燦然と残る「幸せの黄色いハンカチ」やね。結局、名匠、山田洋次監督作品で私の心に残るのってこの1シリーズと1本だけなんですよ。正直言って彼が撮った時代劇ものの作品、「たそがれ清兵衛」や「武士の一分」なんかはさほどいいとは思いません。特に「武士の一分」はこれが山田洋次の作品?って思いました。
やっぱり、「男はつらいよ」と「幸せの黄色いハンカチ」には渥美清と高倉健という不世出のカリスマいたからなわけで、この二人で山田監督が生きたんちゃうかなって私は今回の作品を観て今更ながら思いました。決して本作品が悪いとは思わんのやけど、うーん、なんかなー。この作品、志村さんがやたら取りざたされるけど、本当は山田監督の心の中のどこか片隅に渥美さんがいたようなそんな気がします。本人は認めへんと思うけど...。
言ったらあかんこと言ったような感じ、これは私感ですよ、私感。