鬼滅の刃 無限列車編 | kazuのブログ

kazuのブログ

サラリーマン社長のムービートラベル

いやーすごい人気ですね。自分はまずアニメーションの映画作品は観ません。生身の人間が生身の演技をし、その人物をどのように表現しているか?そして物語の脚本の良さに心惹かれるからです。でもここまで騒がれ、しかも父親の逝去と言う特殊な状況下の中で一大ブームになっていたものはやはり終生忘れられるものではないでしょう。父親の病室の中でどこかのワイドショー番組で一日中取り上げられていたのをみていたので思い入れもあります。さてアニメにほぼ無関心な私が本作「鬼滅の刃 無限列車編」を鑑賞するまでのリサーチにおいて(まあ映画化されるまで昨年来テレビで放映されていた1~26話までを駆け足でYoutubuで観ただけなんですが...)少々、フリーク張りに解説させて頂くと。

 時は大正、とある山中に住む竈門炭治郎は六人兄弟の長男。父亡き後、炭を作り町へ降りて売り歩き一家を支えている。ある日、帰りが遅くなり麓の知人宅で一泊した後、家へ戻ってみると母を始め、弟、妹たちが惨殺されていた。鬼に食い殺されていたのである。しかし

、一番上の妹の禰豆子(ねずこ)だけは息がある。家族を葬った後、急いで禰豆子をおぶって山を下りるが突然、禰豆子が炭治郎に襲いかかる。禰豆子は鬼の血を浴び、鬼と化してしまったのだ。そんな、炭治郎を一人の青年剣士が救う。剣士の名は鬼殺隊隊員・富岡義勇。任務から彼は禰豆子を殺そうとするが、炭治郎から助命を懇願され刀を引く。富岡は鱗滝左近次なる人物の元へ行くよう炭治郎たちに勧める。鱗滝左近次は鬼殺隊隊員の育手だったのである。想像を絶する鍛錬の後、炭治郎は鬼殺隊の一員となる。竈門炭治郎は同期で入隊した、我妻善逸、嘴平伊之助、そして禰豆子と共に鬼狩りの旅に出るとともに禰豆子を人間に戻す方法を探し求める。だが、彼らの行く手には鬼の始祖、鬼舞辻無惨と彼の配下、十二鬼月なる者たちが待ち受ける...

とまあ、こう言う物語なんですがこの鬼殺隊の中に「柱」と呼ばれる最強の九人の剣士がおりまして、本作「無限列車編」では「柱」の一人、煉獄杏寿郎が鬼の仕業と思われる列車内での行方不明事件を追うべく、列車内に乗り込みます。炭治郎、禰豆子、善逸、伊之助が杏寿郎に協力すべく列車を追いかけるところから始まります。

闇の中を走る無限列車。その中で40人以上の乗客たちが次々と行方不明になる事件が多発する。鬼殺隊は「柱」の一人、煉獄杏寿郎を派遣することになった。杏寿郎に協力すべく、竈門炭治郎、禰豆子、我妻善逸、嘴平伊之助の四人も列車に乗り込むことになった。列車に乗り込むと早速鬼たちが襲ってくるがこともなげにその下層の鬼たちを倒すが、その後、五人は深い眠りに落ちてしまう。その列車は十二鬼月の一人、魘夢があやつる列車だったのだ。だがその魘夢よりもさらに恐ろしい敵が...

なんでこんなにもこの物語がこのコロナ禍と言う特殊な社会情勢下で人々の心を掴むことになったのか?人々はコロナ=鬼と考え、いつか、だれかがこの世界から鬼殺隊の面々のような「勇者」たちが助けてくれるかもしれない。鬼となった妹を背負い鬼と戦う炭治郎の姿に今の自分を映し出しているのかもしれない。そんな理由があるのかもしれないけれど「人間VS鬼」と言う勧善懲悪な構図ながら倒れていく鬼たちが死ぬ直前、彼らの脳裏を過る「鬼には鬼になるだけの理由」が描き出されているのも要因の一つのような気がします。物語の最後に猗窩座(あかざ)なる滅茶苦茶強い鬼が登場し、炭治郎たちに襲いかかります。煉獄杏寿郎は魘夢との死闘で疲労困憊ながらもこれと戦います。猗窩座は彼の実力を認め鬼になることを勧めます。

 

「鬼になれ、杏寿郎。死なすのはもったいない。」

 

ところが誇り高き剣士、杏寿郎は当然の如くこれを断るんですね。

 

「生きることも、死ぬことも人間と言う儚い生き物の美しさだ。老いるからこそ、死ぬからこそ堪らなく愛おしく尊いのだ」と

 

若い人たちにはこういうセリフがグッと来るんでしょうなぁ。私にだって、親父を失くした今、こういう言葉は胸に来ます。

状況的な事を言えば現在、ハリウッドからは話題作、大作の新作が全く入ってきません。上映したところで客が入らない、もしくは入れることができないからです。これも腹立つんやけどね。こういう時こそいい映画を一杯上映して世界中の人々を元気づけてもらいたい。だからその分この作品を一日に何十回と上映する。今の映画館はシアター系で一つのビルにいくつもスクリーンを持ってますからね。

兎にも角にもこれからの映画界の行方に「全集中」です。