ベトナム映画なんて初めてですわ、我が業界でもベトナム人気は鰻登りです。本作「第三夫人と髪飾り」は19世紀の北ベトナムの山間部にある製糸業を営む大富豪の元に嫁いできたまだ年端もいかない「第三夫人」の視点からまだ男尊女卑の世界がはびこる世の中で男子を産むことだけに生涯を捧げなければいけない女性たちの懸命に生きる姿を描いた作品です。
物語は山間部の川を船で渡るまだ幼い少女が富豪の家に嫁いでくるところから始まります。第一夫人、第二夫人ともにやさしく何かと彼女を気にかけてくれます。でもどこかよそよそしいんですよね。自分たちにない「若さ」と「無邪気さ」を武器に持つ彼女に対して心中穏やかでないことは観ている者に伝わります。要するに「嫉妬」「妬み」それを見せることは許されない時代。まさにどこの誰だか言っていた「子供を生む機械」です。第一夫人には男の子がいます。第二夫人には女の子が三人、第二夫人には男の子がいない。だから使用人たちにも奥様とは呼んでもらえない。ひどい話ですわ!
けれど第一夫人の息子は第二夫人と「密通」としているわけでまあ俗に言う今の「不倫」。このぼんくら長男は年上の女性に完全にのぼせ上っているわけですが大事なこの家の跡継ぎ、当然こんなこんな話、周りのもんには秘密です。知ってしまったのは第三夫人だけ。こんなこと誰にも言えません。親は「そろそろ息子にも嫁を」と他家より、これまた年端もいかない少女を嫁に迎えます。でも新婚初夜からこのぼんくら長男は第二夫人のことが頭から離れず、この娘には指一本触れないわけです。男はあきませんねぇ、あきらめが悪い!女の人からどう罵られてもしゃあないですわ。しかし女の人が男を罵ることが出来ない時代、土地です。怒り心頭なのは嫁を出した実家。「家名に泥を塗った!」でもその怒りの矛先は嫁ぎ先でも、このぼんくら長男の娘婿でもなく自分の娘です。どちらの親もなんでこうなってるかなんて追求しないんですね、だから娘を実家に帰そうとしますが嫁に出した実家は受け取りません。「我家の恥」「戻ってくるな」
この娘、何にも悪いことあらへん。実家にも戻れない、嫁ぎ先でも身の置き場がない、彼女のとる道は一つしかありません。この悲劇を目の当たりにしているヒロインの第三夫人が生んだ子は女の子、「明日は我が子に起きうること」。心揺れる彼女がとった行動は...
意味深な終わり方でこの物語は幕を閉じますが、この作品を作った監督さんはアッシュメイフェアというベトナム人の女性監督さん、自分の曾祖母地獄絵図のの体験談をもとに描いているとか。まあ~出てくる男はろくな奴おりません、種馬のような家長、ただ、ただ嫁に身の回りの世話をさせるだけの先代の家長、傷ついた自分の娘にやさしい言葉一つかけてやれない実家の父親、そして我がままで我慢することを知らない、ぼんくらのボンボンとなんかみとったら腹立ってきます。
こういった話があるから「女性の権利」と大ナタを振り下ろすように言う女性の方々がおられるのはよーくわかります。この時代の人たちにしたら、レディーファースト、女性車両、レディスデイなんて夢のような話やろね。けど裏を返せば、女性の地位
がどうのとか男のことをケチョンケチョンにけなして、女性であることを武器にしている人らに「こんなにひどい目にあっても健気に生きた女性たちがいたんやと、それをなんやアンタらはと、ちょっとは...あかん、また敵を増やしてしもうた。
この水墨画のような風光明媚なところはどちらかというとハノイに近いところになります。高くそびえたつ山間の中を流れる大河はまさにこの時代の女性たちの流した涙のよう。すべてが桃源郷のような土地が実は女性たちにとっては地獄絵図の世界だった。本当、女性が生きるには行きにくい時代、そして国だったんでょう。