さて歴史好きな私としては忠臣蔵についての関心も高いです。事件は江戸城松の廊下で起こった訳ですがその結果赤穂藩はお取り潰し、浅野内匠頭は即日切腹、城は没収とここ赤穂藩にとっては青天の霹靂であったことが分ります。謎の多い事件ですがたった一日で地獄に落とされたこの赤穂藩と赤穂城について史跡巡りをしてみたいと思います。

神戸三ノ宮から約1時間、JR赤穂城にやって参りました。初めて来ましたので駅構内の観光案内によって道順などを教えてもらいました。

いきなり駅には赤穂義士討ち入りの図が掲げられていました。

駅の階段にも四十七士のプロフィールが飾られていました。

駅前にはもちろん討ち入りの指揮を執る大石内蔵助の銅像です。

駅から歩いて行ける範囲に史跡が集まっているので暑い中ですが散策したいと思います。

赤穂城は駅からすぐということで歩いて向かいます。街全体に忠臣蔵が溢れている雰囲気です。

駅から真っすぐ歩いてきた交差点に史跡のようなものを発見しました。息継ぎ井戸と呼ばれています。

江戸城で起きた刃傷事件を知らせるため藩士の早水藤左衛門・萱野三平の両名が早かごで第一報を持って駆けつけた際にこの井戸で一息ついて城内の大石内蔵助邸へ入ったといわれている井戸跡です。江戸~赤穂をわずか四昼夜半で駆け抜けてきたので着いた時には瀕死の状態だったのではと思います。この急使が届いたことで城はたいへんな騒ぎになったと思われます。

歩いて花岳寺を訪れます。赤穂藩の初代藩主・浅野長直が常陸国笠間から赤穂へ所替えになったときに建てられた浅野家の菩提寺で赤穂歴代藩主の菩提寺でもあります。また赤穂藩と義士ゆかりの品々や義士宝物館や義士木像堂など義士に関する品々が残ります。

激動の赤穂藩の歴史に残る多くの方々が眠る花岳寺です。

本堂の天井いっぱいに描かれた虎の絵が圧巻です。

花岳寺の境内の図ですが多くの宝物が存在します。

まずは訪れたかった義士の墓所です。中央は浅野匠頭長矩公、右に大石内蔵助、左に大石主税、周囲を右側から 格式順に四十五士の墓が並び、遺髪がおさめられていると伝えられます。

義士それぞれの墓が並びますがよく見ると頭に「刃」が付いているのが分かります。これは自刃を表しているのだそうです。

遺髪が収まっているということでたいへん神聖な場所であることが伝わってきます。

義士木造堂ですが義士の一人一人の姿がその特長を現わに木造で造られています。

宝物館には義士に関連する遺品や手紙など貴重な品を見ることができました。

境内には大石家の先祖のお墓もありました。

立派な赤穂藩の藩主の墓もありました。2代藩主長友公の墓です。

赤穂藩初代藩主の長直公の墓です。他にも長直公父の長重公の墓もありました。

義士の家族の墓もここに集められていたようです。

梵鐘については四十七士の切腹が伝えられた際にその弔いのために町民によって延々とつかれたとのことですがその後は鳴ることなく鳴らずの鐘と呼ばれているとのこと。

そして城の境内ですが大石内蔵助の屋敷跡にある大石神社を訪れます。赤穂事件で討ち入りを行った47人の赤穂浪士を祀る神社です。

参道の両側には四十七士の銅像が並びこの時点で圧倒されます。

義士一人一人がいかに大事に祀られているかが分かります。

大石内蔵助像がお出迎えしてくれます。

こたらは内蔵助の長男ので石主税像です。討ち入り時主税は15歳と最年少ながら裏門隊の大将を務めあげました。

毎年赤穂義士たちが討ち入りを果たした12月14日に「赤穂義士祭」が盛大に開催されます。機会があれば見に行きたいです。

大石内蔵助を始め四十七義士が1年10ヶ月の間苦労を重ねお殿様の仇を討ったことにより「大願成就」「心願成就」の神として全国の方々より崇敬を集めているとのことです。

私も四十七士の功績を悼み自らの大願成就、心願成就をお願いしました。

義士宝物殿では内蔵助所有の刀などの品々が展示されていました。

忠臣蔵の顔はめがあるとはさすが大石神社ですね。

義士木造泰安殿ですがここでも義士一人一人の彫像を見ることができました。

大石内蔵助邸の庭園です。内蔵助が愛した牡丹など四季の花が咲いていたとのこと。

山鹿素行先生もこの池の景観がたいへんお気に入りだったようです。

江戸の刃傷事件を伝えた早駕籠が到着し大石内蔵助に報告する場面が再現されています。この時点でもう浅野内匠頭長矩公はもうこの世にはいませんでした。

江戸城内の刃傷事件を知らせるため赤穂までの道のりを昼夜問わずに移動し4日半で着いたという当時の駕籠イメージです。

赤穂藩の筆頭家老になる大石内蔵助一家三代が五十七年にわたり住んでいた屋敷の正門です。もちろん修理・復元したものですが当時の住居の様子が偲ばれます。

江戸城の刃傷事件を知らせる早見藤左衛門と萱野三平が赤穂に着いて真っ先に叩いたのもこの門です。

その②