その③より

天草サンセットラインをしばらく走った後少し内陸に入った大江地区の山裾に白い教会らしきものが見えてきました。

大江教会ですがキリスト教解禁後天草で最も早く造られた教会で、現在の建物は1933年宣教師ガルニエ神父が地元信者と協力して建立したロマネスク様式の教会です。大江地区には約300年間に渡り潜伏キリシタンが存在し続けた信仰の強い土地でガルニエ神父は真っ先に教会を建てて復活の中心としたものと思われます。

ガルニエ神父は質素な生活をしながら孤児院を営みほとんど私費で教会を建てるなど無償の愛情を降り注いだ方です。

すぐ近くには大江に伝わる潜伏キリシタンの遺物などを展示する天草ロザリオ館がありました。ロザリオやメダイの展示の他「経消し壷」が興味深かったです。禁教の中で仏式の儀式が行われた際にお経を壷に閉じ込めて封印して無効にするというその考えに初めて触れました。

いよいよ道の駅崎津に到着しました。ここでは崎津集落についての情報収集を行いました。

まずは対岸から崎津地区を見渡します。普通の漁村のような集落の中に三角屋根の教会が見えています。この景色は2012年にして国の重要文化的景観に指定され、このうち「天草の﨑津集落」が世界遺産となっています。

山肌を背景に建つのは有名な崎津教会です。こちらは1934年の創建になります。この教会はフランス人宣教師、ハルブ神父の指導により弾圧の象徴である絵踏みが行われた吉田庄屋役宅跡に建設されました。

車で近くまで行って駐車場を探します。狭い集落なので少し離れた所に車を停めて歩いて散策に行きます。

小径から歩いて進むといきなり正面に崎津教会の姿が現れました。

決して派手でなく落ち着いた外観の教会です。尖塔の上に十字架を掲げた重厚なゴシック様式でその堂内は畳敷きになっています。

教会はあまり訪問した事がありませんでしたがこの機会に内部を拝観させていただきました。内部は神聖な場所という事で写真撮影は禁止でした。

教会のすぐ横にはハルブ神父の碑が皆を見守ります。

教会の裏には入江が広がり猫と一緒に一休みすることができます。

崎津教会からすぐにある1647年に創建されたと伝わる崎津諏訪神社です。

禁教時代潜伏キリシタンはこの神社の氏子となり参拝の際には密かにお祈りを唱えていました。長きにわたって密かな信仰を守るために秘密な役割を果たした場所です。境内の桜がちらほら咲き出して何とも良い雰囲気を出しています。

狭い路地沿いにいくつかお店がオープンしていましたので散策するのも楽しいです。

かつてテレビで見たことがある名物の杉ようかんです。

せっかくの機会ですので1個買って食べました。中身はあんこで餅米粉でねっとりとした口当りのお餅のようなようかんです。

少し入江の先の岩礁に夕陽の美しい展望デッキがありました。

海に向かって祈りを奉げるマリア像がありました。夕陽の頃はさぞ美しい姿になるのでしょう。

崎津の散策を終えて本渡に向かって車を走らせます。途中見えて来たのは天草コレジオ館です。

コレジオとは宣教師を養成する大神学校のことです。伊東マンショなど天正遣欧使節の4人もこちらで学んだということです。

4人が持ち帰ったグーテンベルクの印刷機も展示されています。

印刷機の他にも西洋楽器や西洋絵画など貴重な品を持ち帰ったことが知られています。

さて本渡へ戻る途中に面白い場所を見つけました。道の駅宮地岳かかしの里です。平成24年3月に廃校となった宮地岳小学校を再活用した道の駅で西日本では初、全国でも3番目の珍しい道の駅となっています。

なんか人が集まって運動会してると思ったらなんと全部かかしでした。びっくり!

よくまあこんなに面白い表情のかかしを作って集めて動きを付けましたね。腹を抱えて笑いました。幸せそうな人々の暮らしが想像出来ました。

天草での最後の食事は本渡のレストランで地元の名物を頂くことにしました。

天草タコの釜めし御前です。タコがごろごろ入った釜めしの美味しさは抜群でした。天草の最高の味でした。

たった二日間で天草を一周し美しい海を楽しみ歴史スポットを探索しグルメも楽しんで大満喫しました。また天草・島原の乱の歴史スポット回ることで悲惨な歴史に思いを馳せることができました。過去の島原の旅と重ねて良い体験させていただきました。

時間が無かったので表面的な旅になってしまいましたがまた勉強して深堀の旅に来たいと感じます。まだまだ見たいもの楽しみたい所食べたいものが沢山あります。

 

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