今回の旅は大分県内で有名な観光スポットの鯛生金山に向かいます。ここは明治27年に金鉱が発見されそれ以降昭和47年に閉山するまでの80年間にわたり大々的に金の発掘が行われてきた場所です。その間に金約40t、銀約160tを産出し東洋一の黄金郷と謳われました。この鉱山は昭和8年から5年間くらいに全盛期を迎え当時3000人もの労働者が居たということでこの山奥にひとつの町ができてたいへんな活気に包まれていたのですが、閉山後今は静かな山村となっています。現在は地底博物館として当時の地底の世界を体験することが可能です。
日田から車で約1時間ですが雪の残る山道を通って鯛生金山にやって来ました。ここ中津江村は大分市街からはかなり遠くほぼ福岡県との県境の位置しますので遠くてなかなかこれまで来たことが無かったのです。
開園40周年になるのですが初めてやって来ました。中津江村は福岡県との県境にかなり近い山村です。
地底博物館・鯛生金山の入口です。
入場料を支払って地底博物館に向かいます。日田には雪が無かったですがここには残雪が残って寒いです。
徐々に雪の量が増えてきました。雪を踏みしめながら進みますとやっと坑道入口が見えてきました。
外は氷点下1℃と寒いですが坑道の中は10℃以上あるそうですので暖まりたいです。
坑内跡を3つのゾーンをぐるっと回って約40分で戻ることができます。
実際の坑道は縦に6竪坑、水平に17層の複雑で大規模の構造になっていました。
坑道を入ると奥に奥にとトンネルが続いているのが見えてきます。足元は固められているので歩くのに支障はないようです。
大正7年にこの鉱山の鉱業権を購入したハンス・ハンター氏ですが採掘に当時稀な最新機器を導入し一気に規模が拡大し採鉱量が増えたということです。
現在は博物館ということで当時の労働者の姿を蝋人形にて再現しています。
金を積んで運びだすためのダンプトラックです。迫力がありますね。
坑道の深さは530メートルもあったので竪坑ケージに乗った鉱石を巻き上げるための巻上機です。当時大活躍したことでしょう。
深い地中に水平に17本の水平坑道があったことに驚かされます。
6本の竪坑をエレベータが人を上下に運んでいたようです。
当時の写真ですが雰囲気が良く伝わります。
510メートル下に通じる竪坑を覗き込むことができました。
そして水平の坑道で鉱石を運ぶバッテリー機関車です。
掘った鉱石を満載して竪坑プラットへ集める役目を果たしていたようです。
常に湧き出る地下水を排出する大型のポンプも大きな役割を果たします。
当時の機器を使った採鉱方法などを見ることができます。水平穿孔の様子。
上向穿孔を行っている作業員の姿です。
コールピック作業の作業員。
ダイナマイト装薬する作業員。
鉱石を手前に引き出すスラッシング作業。
途中の坑道にはイルミネーションが輝いていました。
次からは初期の手作業による採掘方法を紹介しています。ねこ流しと呼ばれる金のゆり分け作業。
砂女と呼ばれる女性も坑内で働いていたようです。
穿子と呼ばれる手による採掘作業。
出口に近い洞窟には山神社がありましたので手を合わせます。金運が上昇しそうですね。
名前の由来にもなった黄金の夫婦鯛が迎えてくれました。純金製のため過去には盗難事件も起こった鯛です。
パンタグラフから電流を引いてトロリー電車まで坑内を輸送に走っていたのに驚きです。
たいへんミステリアスな坑道体験ができました。鯛生金山の採掘は明治から戦前にかけての日本の産業化に大きく貢献したことでしょうね。経済産業省の定める「近代化産業遺産」にも登録されているとのこと。一見の価値はありました。
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