新潟から車で1時間、新潟市につぐ第二の都市、人口約27万人の長岡市にやって来ました。目的は幕末の革命児・河井継之助のゆかりの史跡を訪ねることです。河井継之助に関しては司馬遼太郎の小説や映画である程度知っていますのですがやはりその人物像に触れたいと思い長岡にやって来ました。最初に記念館を訪れて情報を収集したいと思います。

長岡駅からすぐの河井継之助記念館にやって来ました。

碑が建っていますがここは継之助の屋敷があった場所の様です。

継之助の銅像と面影を今に伝える庭が見学できるようになっています。

当時の雰囲気を伝える案内板がありました。

河井継之助が戦争準備に3000両もするのを2台購入していたと言われるガドリング砲です。先見の明があった継之助ですがこれをもっとうまく使えばかなり戦局を優位に進められたのではとも考えますが。

長岡藩の藩旗は五間梯子と呼ばれるものです。梯子は上の上る縁起の良いもので、長岡藩の殿様が敵に追われ領民の家に匿ってもらった際に梯子を立てかけて難を逃れた事に由来するのだそうです。

映画「峠」も見ましたが新政府軍の勢いに流された小藩の哀れさみたいのを感じました。

長岡でロケがあったのは良かったです。

その他に長岡周辺に河井継之助に関連する史跡が点在します。多くは回れないですが墓参りに向かいたいと思います。

せっかく長岡に来ましたので継之助の墓参りしたいと栄涼寺に寄ることにしました。

長岡藩藩主の墓などの中に河井継之助の墓がありました。

実際は只見町塩沢にて落命していますね。傷を負ったままの峠越えは厳しい物だったと想像できます。最期に自ら火葬を望んだのも映画で見た光景で印象深いです。

継之助と共に小千谷の慈眼寺に同伴した藩士の二見寅三郎の墓もありました。

長岡藩主牧野氏の菩提寺ですのでここに墓があることは継之助にとって光栄でしょうね。

そして車で約30分の小千谷に向かいます。

小千谷には継之助が談判を行った慈眼寺に会見の間が当時のまま残されているということで見学させていただきます。

継之助が嘆願書を渡そうとした会見の間です。長岡藩の運命を背負って懇願を行った継之助ですが岩村精一郎に相手にされませんでした。長岡藩が戦争に突き進むきっかけとなった運命の史跡です。

継之助は敷居すら跨ぐことができなかったと伝わります。

河井継之助と岩村精一郎の肖像画が架けられています。

会見のイメージが人形で再現されていました。まさにこの通りだったのでしょう。

継之助の自筆の手紙も見ることができました。達筆ですね。

当時の雰囲気を残すお寺の廊下です。

司馬遼太郎の小説「峠」によって有名になった河井継之助ですがその取材に訪れた際の記念碑が建てられていました。

継之助が慈眼寺にて談判を行ったあと昼食をとった割烹の東忠ですが部屋がそのまま残っているそうです。

小千谷駅に寄りました。闘牛場があるのは珍しいですね。一度は見てみたいです。

駅前の地下道には大きな鯉が!? さすが鯉の町のインパクトは大ですね。

夕方になって長岡駅に戻って来ました。新幹線の停まる駅ですので周辺かなり賑やかです。

この駅の周囲が当時の長岡城のあった場所になります。残念ながらその史跡はほとんど残っていません。辛うじて二の丸跡の碑が残っているのみです。

駅もたいへん大きく立派な印象持ちました。

さすが米どころ酒どころということで日本酒の展示も半端ないです。

長岡の歴史探訪の旅は終わります。継之助の思想は確固たるものでしたが新政府相手では完全に粉砕されて長岡は火の海になった悲しい歴史がありました。でもその中から立ち上がって今の繁栄を築いた長岡の人の魂は立派だと思います。