その①より

土佐清水の中心街を抜けて海岸線にジョン万次郎資料館の案内板が出ていました。

かなり海に近い岩壁方面ですが資料館を目指します。

本当に岩壁に資料館に建っている場所にまず驚かされました。

一度訪れてみたかったジョン万次郎資料館です。テンションの上がる外観ですね。

最初の展示は万次郎たちが遭難して流れ着いた鳥島と生きるために食べたというアホウドリの姿です。アホウドリは警戒心が薄いらしいのでかなり捕獲して主食の様にたべてきたのでだと思います。

飢餓状態の万次郎たちを救ったのはアメリカの捕鯨船でした。船もカメとかアホウドリの卵とか食料を求めて島に近づいたようでした。これまで知識も見たことも無いアメリカ人に出会い面食らったと思いますがもうそんなことよりも助かることしか頭になかったような精神状態だったのでしょう。

異国からの帰還は想像以上にたいへんなことであったようです。鎖国時代に国外へ出ることはたとえ遭難でも犯罪でしょうし帰ってきても犯罪者扱いを受けたようです。万次郎2度目の生死の瀬戸際だったと言えます。島津斉彬のような海外情報を欲する名君に出会えたことが幸いであったと思われます。

そして土佐藩の山内容堂公も万次郎の重要性についてすぐに理解したようです。土佐では後藤象二郎や岩崎弥太郎などにも影響を与えたようです。

せっかく優秀な通訳ができるのにアメリカ通なために日本に不利な翻訳を行うのではとアメリカ側のスパイの疑いも掛けられて用心されていたことなど当時の微妙な立場が良く理解できます。しかしペリーが来て外交の緊迫度が急上昇したために万次郎は土佐から江戸に呼び出され幕府直参の旗本の身分を与えられ「中濱」の苗字が授けられます。万次郎の活躍の舞台が一気に広がることになります。

同じ高知の出身であるとの同じ時期に活躍した万次郎と坂本龍馬ですが直接会ったことはあるのかないのかは幕末の謎の一つでは無いかと思います。

アメリカと日本の板挟みになることもあったようですが重要な役割を果たしてきた万次郎です。

ホイットフィールド船長との再会は感動的であったと想像します。11年振りの中浜に帰郷時の母との再会も感動的であったのを考えるとこの人生の浮き沈みは、これはドラマとして例えば大河ドラマなどで見てみたい気もしますね。

万次郎の子孫については現在も多数おられるのではと想像します。他に万次郎が浅草で勝海舟とうなぎを食べたという話を聞いたことがありますし万次郎がアコーデオンを弾いた記録も残っています。エピソードもいろいろと関連施設などが多く残っているので訪ねるのもまた面白いですね。

万次郎が帰国のために旅費を稼ぐためにゴールドラッシュを利用した話などは初めて知りました。

万次郎の生涯の年譜がまとめられた資料で分かりやすいです。晩年にもっと活躍できたと思いますが44歳で脳梗塞を患ってしまったため71歳で亡くなるまでの間はあまり表舞台には出てきていないようです。

日米修好通商条約の批准書交換のため万次郎が通訳として勝海舟らと乗り込んだ咸臨丸です。ワシントンへ向かう遣米使節を乗せポーハタン号の随行艦として荒波の太平洋を渡りサンフランシスコに到着しました。まさに日米友好の懸け橋となった船でした。

ポーハタン号はアメリカに渡る船団の旗艦でその護衛が咸臨丸となります。

館内は吹き抜けで解放感たっぷりの施設でした。

お土産や観光情報のコーナーもありました。

反対側の岸壁側の壁にも万次郎の肖像画が描かれていました。海からもよく見えますね。

同じ敷地内に「万次郎と仲間達の群像」という非常に迫力ある像がありました。

一目で動きの分かる万次郎を象徴する像ですね。島で必死で船に存在を知らせる5人の姿でしょう。後ろから荒波が押し寄せています。

五人は、筆之烝38歳、重助25歳、五右衛門16歳、寅右衛門26歳、萬次郎14歳ということで万次郎が最も若く一人だけアメリカ本土へと連れていかれたのでした。発見されなければ歴史に名が残ることもなかったでしょう。

ちなみに重助は四年後にホノルルで死亡、寅右衛門はホノルルに定着し残り他の三名は日本に帰国できました。

ここ土佐清水市は四国最南端のまちです。高知県はどこからも遠く離れている印象がありますがその中でさらに端っこの土佐清水に来れる機会はなかなか無いので来れて良かったです。現在も土佐清水市はマサチューセッツ州フェアヘーブンとニューベットフォードと姉妹都市として交流活動を続けていますね。感動的な話です。他にも万次郎上陸の地である沖縄県豊見城市とも姉妹都市となっています。

大河ドラマ賛成ですね。こんなドラマチックな人生は他には無いですし感動的なストーリはドラマで見てみたいです。もし実現すればこの機会に多くの観光客がこの土佐清水を訪れることになると期待できますしね。

風光明媚な竜串海岸に建つ竜串ビジターセンターうみのわです。情報収集と一休みに寄ることにします。

美しい海を眺めていると沖合に珍しい形状の建物が目に留まりました。

この施設は足摺海底館です。施設の海底の部屋に窓があって海中の様子が観察できる施設です。

隣には足摺海洋館SATOUMIです。時間があれば寄りたかったですが残念ながらパスしました。

青い海の竜串海岸の写真を撮りたかったですが天気も悪く良い写真が撮れそうにないので先を急いで先に進みます。

車を飛ばしてくろしお鉄道の最西端で四国最南端の駅である宿毛駅に着きました。

本当はホームに出て車止めの写真を撮れば良かったと後で後悔しました。

宿毛は高知市からも相当に遠く離れた町で逆に九州に近かったですね。以前は宿毛から九州・佐伯にフェリーが出ていたのですが現在は廃止になっていて不便になりました。またくろしお鉄道に乗って青い海をながめながら高知を旅したいなと思います。

これから宇和島に向かいそろそろこの旅も終わります。

 

ジョン万次郎についてはたいへん興味を持って資料館を訪問しましたがただ一つの疑問がまだ残っています。ホイットフィールド船長はホノルルで万次郎を一人だけ連れてアメリカ本土に帰ったわけですが、その時万次郎はなぜ他の四人と離れただ一人アメリカに行こうと思ったのか?少しでも母の待つ日本に近づこうという判断は無かったのか?未知の世界に万次郎はなぜあえて行こうとしたのか? 疑問が解消しませんね。

帰郷後に「中濱万次郎(中濱博著)」、「ジョン万次郎ー海を渡ったサムライ魂ー(マーギー・プロイス)」と万次郎の伝記も続けて読みました。たいへん詳しく参考になりました。

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