天気が下り坂ということでホテルの朝食を終えて中村から一目散に足摺岬をめざします。道路は整備されているのでほぼ50キロ超で走り続けることができましたので約1時間で足摺岬に着くことができました。
中村から車を飛ばして約40分土佐清水の町中に入って分岐に突き当たります。右に行くと清水中心街とジョン万次郎資料館ですが足摺岬を目指しますので左折して進みます。
すぐ近くに足摺黒潮市場がありましたので帰りに寄ってお土産を買いたいと思います。
足摺岬には温泉街がありますが空海が金剛福寺を建てた際に湯に浸かったのが足摺温泉の発祥と言われています。現在では大きなホテルが両側に建っていました。
道は細くなってきましたが足摺岬が近づいてきました。
道が細くなってきました。
四国の最南端・足摺岬に到着しました。銅像が建っているのが一目で分かります。左にあるのは観光案内所です。
海の方向を向いて立つのはジョン万次郎です
遠く大海原の向こうにアメリカを眺めているのかも知れませんね。
真似のできない波乱万丈の人生についてこの後に資料館を訪れてさらに勉強したいと思います。
この銅像から先に進むこと50メートルほどで展望台に登れます。
来たかった足摺岬の展望台です。展望台からは270°の大海原が一望でき水平線を眺めると地球が丸いのが分かります。残念ながら天気は良くないですね。
四国最南端の碑です。
灯台はもちろんですがこの景観は息を飲みますね。天気が悪いので空と海の色がグレーなのが残念です。
高さ18メートル、光達38キロと日本の最大級の灯台です。1914年から荒波の太平洋を行き交う船の安全を見守っています。灯台の足元にも行けるようですが展望台からの眺めで十分満足しました。
ぐるっと見回すとその景観に魅かれます。太平洋の荒波が押し寄せて荒々しい景色を作ってきました。
銅像になった高知の偉人一覧が掲示されていました。個性的な人が多い気がしますが銅像巡りも面白そうです。
そして歩いてすぐには四国八十八カ所霊場の第三十八札所の金剛福寺に御参りします。足摺岬の先に位置していますので第三十七番札所の寺から最長の距離となるそうで、お遍路さんにとっては最難関の札所になっているそうです。それだけご利益があるということでしょう。確かにカッパを着て雨の中を歩いているお遍路さんを何人も見かけました。
たいへん立派な仁王門を通って進みます。
池の周りにお堂が並ぶ姿は圧巻です。私もこの旅の安全祈願をさせていただきました。
中央に配置されている池の五色石が映えています。
最大の難関を歩き通してきたお遍路さんもこの景色に癒され次の札所への活力を得ることでしょう。次の札所までまた70キロ以上ありますので難関が続きます。
そしてすぐ近くにある万次郎足湯を訪れます。ここはテレビで見たことがあります。
白山洞門と呼ばれる自然に侵食された洞門を眼下すぐに見ることができます。花崗岩の洞門としては日本一の規模と言われているとのこと。
そしてこの施設では足湯を楽しみながらこの洞門を眺めることができるのです。坂を下って洞門をすぐ近くで見ることもできるそうですが雨に濡れて滑りやすいため諦めました。
中浜地区になりますが実際に万次郎が産まれた生家を見ることができます。案内が出ていましたので寄ることにします。
堤防に大きく中浜万次郎生誕地の表示が掲げられていました。もっとも万次郎が「中浜」の名字を授かるのはかなり後になってからのことです。
ここには若かりし万次郎に関連する場所が点在しているようですね。案内が助かります。
万次郎帰郷150年記念に造られた石碑も建てられていました。母親は万次郎が遭難して死んだと思っていたそうで墓も建てていたとのことで帰郷できたことに驚き大いに喜んだと思います。
細い路地を進みますと万次郎の母の出里の看板が。
その先に茅葺屋根の万次郎生家が見えてきました。
文献などを復元されたものですが当時の雰囲気を想像することができますね。
内部を自由に見学できますが決して裕福では無かったと想像できます。スタンプを押して葉書を購入させてもらいました。
若かりし万次郎が日々眺めていたのもこのような風景だったのでしょう。
また高台には中濱万次郎翁正五位記念碑がありました。昭和三年に正五位が送られた記念碑です。右には万次郎が使った石臼が置いてありました。
その②へ