コロナも下火になってきましたので熊本を起点にお城巡りの歴史旅に出かけようと考えました。目的は続100名城の八代城と100名城の人吉城で初めて訪れます。熊本からは九州新幹線のさくらで約10分で新八代駅に到着しました。

さくらは左右2列シートですから広くて快適でした。

新八代駅の外観ですが在来線の八代駅とも市の中心街ともやや離れているのが難点ですかね。ホテルまでタクシーで約1000円かかりました。

八代市は人口約12万人の中規模都市ですがこれから訪問する八代城も市街地図の中心に存在します。またその以前にあった麦島城は南側の中洲状の島の中にありました。古くは1334年に名和氏に支配され古麓に初代八代城と言える古麓城が築城されました。あの秀吉も八代を訪れ古麓城に滞在したと伝わります。秀吉は八代を小西行長に与え行長は新たに麦島城を築城しました。

大きな鳥居をくぐって八代城の本丸へ向かいます。ここは城の大手門口の跡ですが真っすぐ進むと城の本丸中に鎮座する八代宮の参道になっているようです。

大坂夏の陣で徳川家康が豊臣氏が滅亡させると一国一城令が出されましたが、小西行長の後に入った肥後の加藤氏領は例外として熊本城と麦島城の二城が残されました。しかし1619年の地震で麦島城は崩壊、新たに3代目となる八代城が築城され今に伝わります。加藤氏の後は細川氏が肥後に入り家老の松井氏が八代城に代々在城しました。

本丸の北西角には4層の大天守と小天守が存在していたことが分かります。1672年の落雷で焼失したとのことでその後再建はされていないようです。1870年に城は廃城となりました。

大手門口に掛かる橋です。

複雑な組み方の石垣が重なり規模の大きさを表わしています。

明治3年(1870年)に廃城となり建物は撤去され現在は石垣が残るだけとなりました。

 

かなり堀の水位が高い印象を受けました。堀が溢れそうなくらい満々と水が溜まっています。

城の東の堀にかかる欄干橋の風景です。

目の前にあるのは八代市役所です。かつての二の丸の跡になります。

欄干橋の高麗門跡の石垣が残ります。

枡形の石垣が美しいです。

大天守台と小天守台の様子が窺えます。

井戸跡も残っていました。

石垣の重なりと堀が美しい城の景観です。

本丸に鎮座する八代宮です。創建は1884年とのことで比較的新しい神社です。懐良親王を祭神として祀っています。

道路を渡って北の丸には松井神社が見えています。この北の丸は加藤正方が母の隠居所を建て枯山水の庭園を造ったと言われています。

松井氏初代康之を祭神とする松井神社です。

あのガラシャ夫人の夫の細川三斎が隠居して庭園を整備した場所でもあります。その後は松井氏が継承して伝わります。

細川三斎は息子の忠利が小倉から肥後に転封されたのに伴い自らはこの八代城の北の丸に入り隠居所としたとのこと。

細川三斎が隠居してここに数寄屋と池を築いて臥龍梅を植えたと伝わります。

細川三斎も悠々な生活を送り81歳までここで過ごしたようです。。

1688年に松井家4代直之が母のために創建した茶庭ですが松浜軒と名前が付いています。

庭の見学が可能ですが時間が早かったのでまだ開園前でした。(有料)

藩主の庭園一覧が掲載されていましたがいずれも名園として今に伝わるものですね。

二の丸外側の駐車場には城の石垣が残ったままです。

刻印のある物も残っているとのこと。

JR八代駅城まで戻って来ました。

八代城自体は石垣のみが残る城跡になっていますが想像したよりも規模が大きく輪郭式の正方形の形状は市のシンボルとなっています。

その②