人吉を治めていたのは相良氏で800年前から地頭としてこの土地に定着していたようで歴史があります。人吉球磨地区を統一し一時期には八代にも領地を拡大していましたが、1581年に島津義久に敗れ八代を奪われ、1587年に秀吉に降伏し最終的には球磨地域のみの支配を許された次第です。その後も相良氏には関ヶ原の合戦で西軍に付くなどの危機があったようですが何とか生き残り廃藩置県まで球磨の領主・知事を務めたそうです。
秀吉の時代の第20代当主・長毎は人吉城を現在の石垣造りの頑強な見応えのある城に修築したそうです。
実際に人吉城に臨みますが水害の影響で見学が制限されている箇所もあるようです。残念ですが見学箇所を絞って回ります。
城の北側にあたる御館御門橋から登城します。この石橋は1766年に造られた多脚式の橋で熊本県の重要文化財とのことです。
奥に見える鳥居は相良神社の鳥居です。
橋を渡ると庭園が見えてきますがこの御館は城主の相良氏が居住した場所とのことで美しい庭園が整備されていたようです。
案内板が設置されていました。
北側の城回りは低い石垣塀とやや狭い堀に囲まれていました。
当時は馬責馬場と呼ばれた路沿いに石垣が積まれていました。城の中央を縦に区切る道です。
途中石外の切れ間には城の出入り口があったのではと思います。
人吉城で有名なものと言えばこの武者返し(刎ね出し)ですね。
日本の城では珍しい西洋式工法で他には五稜郭(函館)と龍岡城(長野)でしか見られないものです。1862年の火事で城のほとんどを焼失したための防火目的として造られたのかそれとも敵の侵入を防ぐ防衛目的なのか手の込んだ仕組みです。
実際に刎ね出しを真横から見てみると予想より長く突き出ています。もし敵が登ろうとしても登れないですね。
内側から水ノ手門長堀を望みます。まだ工事中の箇所が多々あります。
橋上から球磨川を見下しますが球磨川と石垣と遊覧船が絶妙なコントラストです。
梅花の渡しの舟がのんびりと進みます。
人吉城歴史館で資料を見学したかったですが今は水害の影響で閉館されています。
ただ横のプレハブにて100名城のスタンプを押せるようになっていました。
この先に進むと復元された隅櫓、多聞櫓、続塀がありますが水害の影響で立入が制限されているとのことで見学はしませんでした。時間もなかったのでまたの機会に訪れたいです。
また人吉城には井戸のある地下室が2カ所発見されて話題になっていましたね。
全国的には同様の遺構の例は無いということでたいへん珍しいものです。
立入はできませんでしたが確かに井戸水が溜まっているのが確認できました。
人吉城近くに戻ってきたらちょうど青井阿蘇神社でお祭りをやっているようなので寄ってみました。3年振りに開催されたおくんち祭りで平安時代から続くという歴史あるお祭りの最中でした。
たくさんの露店が出てたいへん賑わっていました。地元に愛されている神社なのでしょうね。
たいへん格式ある楼門をくぐって本殿へ進みます。この青井阿蘇神社には多くの国宝建築物がありますがこの楼門も国宝です。
楼門を下から見上げるとたいへん重厚で歴史を感じさせる造りになっています。
拝殿にてお詣りします。国宝です。
歴史ある古い造りであることがよく分かります。ちょうどお祭りの賑やかな日に来れてラッキーでした。ご利益があることでしょう。
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