その①より
家老の西郷頼母邸跡地の碑を見学します。新政府軍が押し寄せる中西郷頼母の留守を守る家族は頼母の足手まといになってはいけないと老母や妻、娘や親せきまで21名が集団で自害したものです。
元々は松平容保が京都守護職を受託したことで悲劇の連鎖が始まったものですが西郷頼母は松平容保に薪を背負って火に飛び込むようなものと言って反対していました。もう逆に回り始めた歯車が日本全体がどうしようもない段階になっていました。
また移動して新撰組の近藤勇の墓にお参りするために天寧寺へやってきました。
こんな雪の中を山道を登っていくことになり、看板のみを頼りに進んでいきます。
膝までの雪を踏み分けて小高いの丘を登り墓を見つけました。
会津で近藤勇の処刑の話を聞いた土方歳三が故人を偲んで墓を建てたということです。他にもさまざまな説が存在します。
会津武家屋敷は、会津藩23万石の家老西郷頼母邸を復元した施設を中心に、福島県の重要文化財を含む歴史的な家屋や資料館からなる歴史テーマパークです。
もちろん市内には新撰組ショップもありましたね。
帰りに会津市内で美味しい会津そばを頂きました。(桐屋権現亭)
さすがの本場の蕎麦は香りが強くのどごしが爽やかです。
そう、会津は馬肉も名物で専門店が沢山ありますね。(鶴我さん)
会津若松駅に戻って来ました。磐越西線の終点ですので電車止めに雪が積もっているのが見れます。
会津若松駅 - 会津田島駅間を走るaizuマウントエキスプレス号です。
この時期八重の桜号が走ります。
かわいらしいディーゼル車が活躍しています。
電車の中からも磐梯山がきれいに見えています。(磐越西線) 戊辰戦争の際にはこの光景を見て癒された人はいたでしょうか。
会津の観光をたいへん楽しめました。会津の観光ではどうしても歴史と切り離せないのが現実ですが、新撰組、戊申戦争、白虎隊、松平容保、京都守護職など幕末の混乱と振動のしわ寄せが波のように会津に押し寄せてきたのだと感じましたね。
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