連休初日は近くてなかなか行けなかった武蔵の国・埼玉へ行くことにしました。江東区在住なのでいつでも行けると思って油断していたら行きたくて温めていたところが時期を迎えましたので出かけることにしました。(20170429)
池袋から東武東上線でまずは川越を目指します。
川越市は人口35万人、初めて訪れましたが朝の川越の商店街はまだ店は開いていませんし観光客も歩いていませんので静かです。
川越の有名な昔の街並みです。
ここもまだ開いていませんが10時を過ぎると大勢の観光客で大賑わいになります。
川越のシンボルともいえる時の鐘です。1627年ころ川越城主酒井忠勝が、城下多賀町に建てたものが最初といわれています。
今でも時を告げているそうです。
時の鐘についての案内板です。
川越市役所まで来ましたが庁舎の前には鷹狩をする太田道灌の像がたっています。太田道灌は江戸城を築城したことで名が知られますが江戸城以前この川越城も築城しています。
ここ川越庁舎は元々川越城の大手門があった場所です。
庁舎の大手門跡から本丸に歩いていると中の門跡が見えてきました。
大手門から本丸方向への敵の進入を阻むために巧みに配された堀が復元されており堀と堀の間に中ノ門が存在し二階建ての立派な櫓門があったようです。
川越市のパワースポットと言われる氷川神社にも寄ってみました。入口にある大鳥居は高さ15メートルで木製のものとしては国内一とのことです。
火防や安産や子供の成長のご利益があるということです。
たいへん珍しい儀式ですが神社内を流れる御神水、祓い川(はらいのかわ)に紙の人形(ひとがた)を流し身についた汚れを清めるものが行われていました。
現在川越城のシンボルとなっている川越城本丸御殿が見えてきました。1848年に時の川越藩主松平斉典が造営したもので、玄関・広間部分が当時の面影を残しています。
川越藩はペリー来航時にはお台場の警護の役割も担ったということで日夜このように詰所では家老の会議が開かれていたことでしょう。
畳36帖の広さの大広間です。
廊下は広く雰囲気があります。
城の南側に小高い丘がありますがここはかつての富士見櫓があった場所ということです。
かつてはここから富士山が見えたのでしょう。
さらに歩いて江戸幕府に手厚い庇護を受けてきた名刹の喜多院にお参りします。
規模の大きく幕府の保護を受けてきた喜多院ですが1638年の川越大火により山門以外を焼失してしまいました。
その際に三代将軍家光は江戸城より別殿を移築してその復興に努めたためこの喜多院に家光誕生の間と春日局の間が存在します。一見の価値があります。
併せて五百羅漢像を見学することができます。
一体一体が表情や動きの違う像が五百像以上鎮座しており人間の喜怒哀楽の姿をじっくり見て回ると面白いです。
また隣接して駿府で没した徳川家康公の遺骸を日光山へ運ぶ途中で法要が行われたことから建設された日本三大東照宮の一つである仙波東照宮もあります。
喜多院からは周遊バスにて川越駅へ戻ってきました。予想よりも観光客は多くバスもいつもいっぱいでした。
さてこれからもう一カ所埼玉の森林公園へ向かうことにします。(26)