さて島原の旅の2日目ですが車で島原半島を南下し原城、口の津港を目指します。ホテルからは島原鉄道の電車が目の前を走っていくのが見えます。

車を走らせて南島原駅にはたくさんの車両が停まっていました。

南島原駅近くの海岸ですが坂本竜馬上陸の碑が建っていました。1864年勝海舟とともに長崎に向かう坂本竜馬は熊本から船で有明海を渡りこの海岸に上陸したということです。

勝海舟と共に豊後の佐賀関から九州に上陸し阿蘇を越えてここ島原に着いたわけですからたいへんな健脚です。

その因縁か島原復興アリーナにサッカーボールを踏んだサムライブルーの龍馬の巨大像がたっています。

2010南アフリカワールドカップ時に国立代々木体育館に設置されていたもので、(財)日本サッカー協会・アディダスジャパン(株)から島原市に寄贈されたとのこと。

横から見るとこんな感じです。(笑)

原城跡にやってきました。大岩の上で神に祈る総大将の天草四郎像が印象に残ります。実際のところは謎が多く神秘的な存在であることには間違いないでしょう。

すぐ隣には天草四郎の墓石が置かれています。民家の石垣の中に埋もれていたものを原城に移し供養したと言われています。

天草四郎最後の居場所とも言われる本丸の大規模な虎口で、周囲を石垣で囲まれている門の礎石も見ることができました。

本丸には石垣ではなく崩されて放置されたような石がゴロゴロと転がっているような感じでした。

次に原城から約10分日野江城の入り口です。1571年領主となった有馬晴信の居城ですが彼は1580年に洗礼を受けイエズス会と接近し一気に布教が進みます。

高台にある日野江城ですが当時は原城と同じように海に面していたということです。

今は石垣しかありません金箔の瓦が発掘されるなどなぞに包まれたお城です。

この城も一面の海を見渡せるこの高台に築城されていたのが分かります。

キリスト教弾圧の舞台となった原城と日野江城についてもっと詳しく知りたい人には有馬キリシタン遺産記念館の訪問した方が良いです。世界遺産登録推進のため平成26年4月にオープンしました。

発掘のレプリカやキリスト教布教の歴史など展示内容が充実していることと、説明員の方が非常に丁寧に説明してくれますので時間を忘れて過ごしました。

島原の乱以前に島原半島を治めていたキリシタン大名の有馬晴信像です。

展示パネルをじっくり読んでいるとたいへん島原半島の歴史の勉強になります。

豊後の大友宗麟の命令で派遣されたと言われる伊東マンショも四人の一人です。

原城から足をさらに延ばして口之津港にやってきました。口之津はかつて南蛮船が来航する西洋文化の窓口でした。港の向かいにそれらしい大きな南蛮人人形が建っていました。 「 殉国の人々 郷土を離れた地 」 と記されていました。

港に向かって1579年に口之津へ来航したバリニャ-ニ神父の胸像がたっています。神父は有馬にセミナリヨを設置したり天正遣欧少年使節の派遣に関わったりとキリスト教布教に尽力した人です。ヴァリニャーノは日本において日本人の能力を高く評価しイエズス会の宣教に適応主義と呼ばれる方法をとったことが知られています。

口ノ津港からは天草の鬼池港にフェリーが出ています。

1日に15便以上出ていますが乗車賃が360円と超安いです。

島原にはみそ五郎という巨人伝説が伝わりますが南島原市の庁舎の前にも座っているのを発見しました。

庁舎の駐車場にはしっかりとした銅像も建っていました。

空港に戻る途中諫早を通りましたが今年度J1に昇格しましたⅤ・ファーレン長崎のホームスタジアムのトランスコスモススタジアムです。

やっと長崎空港に着きました。

短い2日間でしたが島原の魅力に触れることができ楽しい旅になりました。

島原の歴史の勉強もでき良かったです。 (30)

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