いよいよ信長の拠点・安土城を実際に訪れるため安土駅に降りたちました。意外にもコンパクトな駅だという印象を持ちました。

駅前ロータリーでは織田信長像がお出迎えしてくれました。敦盛を舞っているところでしょうか。

安土城跡前に着きました。これから大手口より登城を行いますがまだ城の全体像も一部も何も見えていません。しかしここに信長が天下布武のために城を築いたのかとワクワクします。

大手口からいきなりほぼ直線に6メートル幅の石段が続いていきます。杖が用意されていますがゆっくり登りますので必要無いと思ったのですが後で後悔します。

いきなり左側に羽柴秀吉邸跡が出てきました。もう少し上がった右側には徳川家康邸跡がありました。秀吉ら家臣は城の麓に屋敷を持っていたようです。 

見上げると遥か先まで石段が続いて行きます。一つ一つの石段は馬が登れるように長さがあって人間は歩き難いです。

少し先まで行くと石段がジグザグに意図的にか曲がっていることが分かりますがこれも防御のためでしょう。

足元の石垣に何か所か石仏が利用されている箇所もあって目を惹きます。説はいろいろあるようです。

安土城の時代の石垣は石垣積みの技術に乏しかったようで積み方が荒いですね。それだけ古いと推測できます。

登っても登ってもなかなか本丸は見えてきません。そろそろ足が疲れて息があがってきました。

信長と本能寺で討ち死にすることになる森蘭丸邸はさらに城の中腹にあったようです。

石段はほぼ登り切ったところで二の丸跡に入りました。本丸はもうすぐです。

二の丸横に見えて来たのは織田信長廟です。

織田信長の死後羽柴秀吉は二の丸に太刀、烏帽子、直垂などの遺品を埋葬して本廟としたと伝わります。秀吉は信長の墓を作ることで権力の継承をアピールしたのでしょう。

両側の石垣を眺めながら本丸へ足を踏み込みます。

長い石段を登り切っていよいよあの天主閣のあった場所にたどり着きました

おおっ、かつてあの5重7階の天主閣のあった天主台に着きました。礎石が残っており確かにここに建っていたことが分かります。

安土城は総石垣で普請された城であり初めて石垣に天守が作られた城ですね。その築城技術がその後日本中に広がった訳で近世城郭の範となったことを思えば大きな意義を持つ城です。信長がどこでこの築城の構想を取り入れたのかいろいろと興味が湧きます。

実際にこの天主閣にて信長は生活していたと伝わりますから相当にお気に入りで思いが強かったと思います。本能寺の変後に焼失してしまったためわずか三年しか存在しませんでした。

この天主台から信長は四方を眺めていたのでしょう。実際にはこの位置から6階建てで32メートルさらに高い窓からの景色になるので抜群の絶景で、当時は琵琶湖と水運がつながっていて琵琶湖も一望できたとのこと。

そして安土城築城に伴って織田信長によって城郭内に建立された摠見寺の三重塔(重要文化財)です。

天正年間に信長が甲賀の長寿寺から移建したと伝わるそうですが、この三重塔は眺めると建っているところが不自然な気がします。

歴史を感じる雰囲気が伝わります。

ことらは仁王門、同じく重要文化財です。

 

実際の城の縄張りや雰囲気を確認したところで実際に建っていた天主閣をイメージできる施設ということで信長の館を訪問します。

施設に入るとまずはそのきらびやかな建物に驚かされます。これは1992年に開催されたセビリア万国博覧会に出展された原寸大の安土城の天主閣の5階、6階部分を展示したものです。

5階の赤色は少々けばけばしい気がしますが派手好きな信長の嗜好を現わしているかもしれませんね。なぜかこの階は八角形をしています。障壁画が素晴らしいですね。

赤と金の配色がめったに見れない組み合わせですね。

6階の最上階は内も外も豪華絢爛の一言です。

信長はここで生活していたと伝わりますのでここが居住空間だったのでしょう。

一度は来てみたかった安土城ですが天主までよく登れたなと自分で感心します。延々と続く石段に恐らく当時敵が来ても諦めたことでしょう。その苦難の石段の先の天主の6階で織田信長が優雅に佇んでいる姿が想像できました。城マニアであれば一度は安土城と信長の館をセットで訪問する価値は大いにあると思います。思いが戦国時代にタイムスリップできる城跡です。 (30)