梅雨の合間の6月に琵琶湖の湖東、近江地域を旅しました。 何と言っても戦国時代の息吹をあちこちで感じることができます。今回は織田信長や豊臣秀吉の湖東の足跡を追いかけてぶらり旅です。(2014/06)

京都から北陸本線は新快速を乗り継いで長浜に向かいました。電車は黒田官兵衛でした。(笑)

意外とコンパクトな長浜駅です。


まず長浜駅で迎えてくれのは秀吉と石田三成出会いの像です。「三献の茶」の逸話が残っていますね。

少し街中を歩いてみましたが、黒壁を基調にした古い(感じの)雰囲気のある街並みでした。正面に見えるのは大通寺ですが現在山門が修理中でした。


お店も古い感じで統一されており、雰囲気がありますね。軒先にはひょうたんがぶら下がっています。

何と雰囲気のある商店街でしょう。


黒壁の名前の由来となった黒壁ガラス館です。昔は銀行だったそうですが壁が黒いので黒壁銀行と呼ばれていたそうです。


昼は長浜の名物と言うのっぺいうどんを茂美志さんでいただきました。名物は鯖寿司とか鯖そうめんとかもありますが、初めてののっぺいうどんに魅かれました。特徴はでかい椎茸ととろみのついただしです。

茂美志さんですが店構えからも惹かれますね。

中には芸能人のサイン色紙がたくさん壁に貼ってありました。


長浜港から信長の頃から神の住む島として信仰の対象とされる竹生島へ向かいます。

約30分の船旅で竹生島に到着します。

琵琶湖をひた走り神秘の島へと向かいます。

湖と言ってもほとんど海の様なイメージです。けっこうな速度で走ります。

島が近づいてきました。

港から全体を見上げたところです。かなり階段を登っていきますが信長の時代よりも前から神が住むと言われる島だけにパワースポットが点在します。

宝厳寺なのに鳥居があるなど神仏一体の名残が見えてきます。

宝厳寺を目指して階段を登って行きます。

竹生島の宝厳寺の本堂ですが非常におごそかで雰囲気があります。願い事はだるまの中に書いて弁天様に奉納しました。


初期の三重塔は落雷で焼失したらしいですが、非常に美しくお寺のシンボルとなっています。

なんと国宝の唐門が存在します。

秀吉が建てた大阪城極楽橋の遺構で、京都の豊国廟から秀頼の命で竹生島に移されたとのことです。

秀吉の御座船「日本丸」の骨組みを移したもので重要文化財になっています。他に宝物殿には秀吉が寺に材木を出すようにとの命令した書状などが残っています。

都久夫須麻神社(竹生島神社)の本殿・国宝です。内部も秀吉の命で豪華な装飾が施されています。

海から見た竜神拝所ですが鳥居に向けて願い事を書いたかわらを投げています。

80分間の滞在でしたが階段を登って宝厳寺に参り、宝物殿を見学し都久夫須麻神社に参り良かったです。 

心が洗われてリフレッシュできました。島を後にします。

長浜港について歩いて今度は長浜城に向かいます。

秀吉が最初に築城した城ということでいまだに長浜の街では秀吉やひょうたんの表記を見ることができます。

一番上まで登りましたが長浜城からはほとんどの地域が見渡せます。

秀吉も一豊もここから戦場を見渡したものと思います。

駅の近くですが秀吉公を偲んで聴衆が建立したと言われる豊国神社です。徳川政権時代は隠すために恵比寿宮とされていたのだそうです。


このような企画ものも楽しいですね。時間があれば参加したいです。

そして戦国時代の戦い方を大きく変えた国友の里の国友鉄砲資料館を訪れます。当時から国友村には優れた鍛冶職人が多く居たようで、種子島に伝来した鉄砲を量産する技術があったからい一気に全国に広がることになりました。尾張の織田信長と距離的に近かったことも広がった一因でしょう。

国友鉄砲鍛冶についての碑がありました。種子島に鉄砲が伝わってから国友村で作られるようになる経緯が簡単に書かれており興味深いです。

多くの国友の鍛冶職人がここで鉄砲の製造技術を伝えてきたのでしょう。

前から行ってみたかった竹生島に渡れてたいへん感動しました。信長や秀吉をはじめ多くの戦国武将が憧れたその雰囲気を感じることができました。(35)