コロナ禍の影響で最近は遠出が出来なくなっていますが、紅葉の時期になると体が疼いてどうしても出かけて写真に収めたくなります。今年は無理かと諦めていましたが少しコロナも落ち着いて天気も快晴続きという事で最後のチャンスに賭けて紅葉バスツアーに参加することにしました。
いよいよ今年の最初で最後の紅葉見学に出発します。旅の起点はJR中津駅です。
最初は駅の近くの福沢諭吉旧邸に寄ります。福沢諭吉は大坂の中津藩蔵屋敷で産まれましたが父が亡くなったために母子6人で中津に帰郷し19歳まで中津で過ごしました。
旧邸で面白いのは諭吉が虱(しらみ)を潰した石が残されていることです。諭吉の母がよその娘の頭の虱を取って諭吉がこの石で潰していたのだそうです。
外見よりも意外に広い邸内ですが庇が低いので頭を打ちそうになります。
福沢諭吉先生の銅像が見守ります。
旧邸の横になにやら土蔵らしきものが残りますので中を覗いてみます。
2階に登ると薄暗くて狭い畳部屋に幼少の諭吉少年が勉強していました。確かに頭が良くて勉強熱心でないと立身は難しい時代でしょう。諭吉少年は19歳にて蘭学を志して長崎、大阪と遊学することになります。
どうしてこの田舎(失礼)のこの家から明治の日本の夜明けの道筋を照らす偉大な思想家・教育者が出たのがたいへん不思議な思いです。謎ですがやはり教育が一番大切だという事でしょうか。
横にある福沢記念館で諭吉の書簡などの関連資料を見ることができました。
次に耶馬渓名所の青の洞門に向かいます。何とも圧巻の奇岩が続く競秀峰の裾に手でくりぬかれた洞門があるようです。遠くから見てもこんな岩をくり貫いたのかと驚かされます。
いよいよ洞門の入り口から中へ入ってみます。
見学者用のコースですが周りは岩盤でこれに穴を穿つのは至難の業と言うのが理解できます。
少し進むとお地蔵様とノミを振るう禅海和尚像がありました。
途中、明かり採りのための穴が開けられていましたがすぐ下を川が流れているのが分かります。
すぐ真下に山国川が迫ってきています。かつては多くの人が命を落としたという事で川の下流には遺体が流れていたと伝わります。
洞門自体は長い間にかなり改修されたそうですが当時の手彫りの跡が残る旧洞も実際に通ることができました。
今は車道も通って車も平気で洞門の横を抜けて走れるようになっています。
青の洞門の偉業とこの景観の素晴しさには感動ですね。初めて訪れました。
30年かけてこの洞門を完成させた禅海和尚の像がありました。 菊池寛の小説「恩讐の彼方に」でも有名になりました。
下から見上げた競秀峰の姿です。岩がせり上がったという印象で圧巻です。
断崖をよく見てみると昔の道と言うか岩壁に打ち付けられた鎖を命綱にしてここを抜けようとした崖の道跡が見て取れます。
そもそもは中津藩主の小笠原長胤は藩内の田畑に水を引くために荒瀬井堰を築きましたが、このため川の水位が上がって川沿いの道が通れなくなり仕方なく通行人は危険な険しい道を通らざるを得なくなったためという事です。
近くには大正12年に完成した耶馬渓橋があります。日本で唯一の8連の日本最長石造アーチ橋で日本最長です。
さてこの後は羅漢寺へと向かいます。この時期は紅葉も期待できますし初めて訪れますので楽しみです。 いきなり参道の紅葉がきれいでした。
羅漢寺は大化元年(645)にインドの僧法道仙人がこの岩山の洞窟で修行したことから開基された寺と言われていますのでたいへん歴史のあるお寺です。
羅漢寺へ参拝するには山を登る必要がありますが歩いて登るかまたはリフトで登るか二つの方法があるようです。
時間も無かったのとなかなかリフトに乗る機会も少ないのでリフトを選択しました。
スピードも速いですしリフトは相当スリルがありますね。3-4分で羅漢寺駅に到着します。
羅漢寺駅からすぐに羅漢寺の入り口に着きますがここからは残念ながら撮影禁止です。
印象に残ったのは岩壁に張り付くように建つその本堂の景観のすごい事、また安置されている石仏の数、奉納されたしゃもじの数などが圧巻でした。たくさんの人の願いや悩みを聞いてくれるありがたいお寺です。私もコロナの終息をお願いしました。帰りもリフトを利用しました。
下りでは回りの景観を楽しみながら3-4分で山麓駅に到着します。
羅漢寺を後にしますが羅漢山もやはりものすごい岩山ですね。
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