その①から続きます。
柿崎から街の中心に戻ってきましたが、ここには坂本龍馬の飛翔の地となった寺があります。
勝海舟が山内容堂と会い、坂本龍馬の脱藩罪の許しを請うた場所でもあります。容堂の前で勝が飲めない酒を飲み干してみせたというエピソードが伝わります。
龍馬がこの寺にて脱藩を許されたことから、下田は「坂本龍馬飛翔の地」といわれるようになりました。
下田に来た吉田松陰・金子重輔の二人がはじめに宿をとった旅館・岡村屋跡ですが、最近まで下田屋旅館という名で営業していたそうですが現在はやめているそうです。
密航に失敗し自首した吉田松陰と金子重輔は下田奉行所に拘禁されますが、その長命寺があった場所です。現在長命寺は廃寺となっており、現在は下田市立中央公民館が建っています。
外国船に乗り込むとはなんという破天荒な男だったでしょう。

寺に隣接する了仙寺の宝物館ですが、実際に見て見ると開国当時の様々な展示品が目を引きます。ペリーの肖像画や吉田松陰の漢詩の掛軸やジョン万次郎の直筆の扇面書等、黒船や開国に関する資料がすごいですね。本当は時間をかけてゆっくり見たい逸品揃いだと思います。 館内のビデオでも条約時に日本側とアメリカ側がお互いに接待し合った話など初めて知る話などがありました。 日本側の歓待メニューは40を超える品数で日本橋の懐石料亭の百川楼が大金で請け負ったとのことでした。

了仙寺の前の石畳はたいへん風情がありますね。


駅から15分くらい歩きますが、生前の松陰を生々しく感じられる場所があります。松陰が湯治で入った共同湯と寓居していた所(村山邸)の史跡を見ることができます。 まずは共同湯ですが、ひどい皮膚病であった松陰が治療のために村人しか入れないこの共同風呂に夜中に入っていたのを見つかって咎められた場所です。
その後その方(医師の村山行馬郎)の理解を得、自宅の2階で匿ってもらったということで当時の姿がそのまま保存されています。正面から見ると平屋の家に見えますが、実は屋根の下に2階部屋があってそこにそこで身をひそめていたようです。
吉田松陰が身を隠していたということです。
この2階の隠し部屋で松陰は金子との密航を計画し嘆願の手紙を書いたようです。その時の机と硯も展示されているので見ることができます。
きっと吉田松陰はひっそりと暮らしこの窓から外の世界をそっと眺めていたのでしょう。
駅までの帰りに途中で有名な金谷旅館の千人風呂に入ることにしました。旅の疲れを癒すのと松陰と同じ湯に浸かって故人を偲びたいと思いました。江戸の末より百三十余年の歴史を刻んでいます。
千人が入れるとは大げさですが底まで総ヒノキ作りの大きな風呂で手足を伸ばしてゆったりとお湯に浸かり、旅の疲れが吹き飛びました。(カタログの写真です)
今回も一日だけ駆け足で史跡ほかを見て歩きましたが、もっとじっくりと回りたいと思えるほど興味深い歴史的遺産が下田の中には多くありました。また良い温泉もあり景観も美しいことが良く分かりましたので必ずまた時間を取って来たいと思います。(32)