長く続いた江戸時代から明治時代になり、江戸から東京に代わるこの間には、時代を動かすために本当に多くの人達が登場し死んでいったと感じます。その時期に幕府軍で奔走し、長く生き抜いた勝海舟の足跡や史跡などを訪ねて思いを巡らせます。
新撰組が江戸に戻った時期は、江戸城において新政府軍が総攻撃があるかないかの非常に緊迫した時期です。その時期勝海舟と新撰組には若干の接触があったようです。こちらはJR両国駅から歩いて約10分、両国公園内にある勝海舟生誕の地碑です。

ここで生まれた勝海舟は幕末の大波乱の中、過酷な人生を送り天寿を全うするわけですが、圧倒的に暗殺されたり戦死したりした人の多い中、長生きできたのも奇跡としか言いようが無いですね。

近くにはあの吉良邸もあります。今はその規模も本当に小さくなっており一角という感じです。

少し浅草へ歩いて隅田川沿いの墨田区役所横に勝海舟の銅像があります。本所生まれの幕末の雄・勝海舟の功績を称えるものでしょう。彼の人生もやはり咸臨丸で西欧を直接見た先駆者として明治維新に大きく貢献することになったわけです。

勝海舟の略年譜がありました。
この時期の活動した著名人の中で唯一生き残って生涯掛けて活躍した幕末の雄の一人でしょう。

さてスカイツリーを見上げながら両国から歩いて向島を目指します。橋の上で一服です。
この地域は料亭街の色濃いですが、勝海舟に関する歴史の史蹟が多数残りますね。勝海舟の生誕の地本所から、幼少のころに犬に急所を噛まれて大怪我を負った際に、父が全快の願をかけたと言われる能勢妙見堂です。

その縁で境内には勝海舟の銅像が建てられています。

医者も諦めるほどの大けがだったそうですが霊験により九死に一生を得たということです。
この界隈からはスカイツリーが良く見えますね。

そして歩いて東武伊勢崎線をくぐり言問橋たもとの牛嶋神社です。この地域の総鎮守の神様ですがここも勝海舟が本所から剣術の修行に通っていたと言われます。

境内には撫で牛が鎮座します。

体の悪い所と同じところをなぜると病気やけがが治ると伝わりますので、海舟もけがの箇所を撫ぜていたかもしれないです。
牛嶋神社の縁起です。

この周りは隅田川沿いに隅田公園は寺社仏閣が点在し、歴史散策が楽しいコースです。私も予定になかったのですが、このまま鐘ヶ淵あたりまで歩くことにしました。

曳舟ですが禅寺の弘福寺です。勝海舟が19歳からの4年間禅修行そしたことで知られています。このあたりで勝海舟が青春を過ごしたいたわけです。

街道沿いにしばらく歩くと墨田区七福神(寿老人)の白髭神社に当たります。

こちらは余談になりますが以前訪問した地下鉄の赤坂駅からすぐのところにある勝海舟邸跡です。知らないと見落とすビルの隅に碑がありました。よく見つけましたよ。

坂本龍馬が初対面に訪れたのもここにあった勝邸でしょうから、歴史上たいへん意義ある場所と言えますね。坂本龍馬は勝海舟を斬りに行って逆に弟子になったという話は後世の創作でしょうかね。

少し読みにくいですが勝海舟邸の案内がありました。
その②へ続く





