仕事で広島にやってきました。今回は県の東側の仕事でしたので、福山、尾道、三原の辺りは非常に歴史的な史跡や名城が多い場所ですので時間を作って歴史旅してみたいと思います。

 
久々に福山駅にやってきました。以前仕事で来て以来ですので7~8年振りになりますが大型バスが多く活気がありますね。

駅の構内には早速福山藩の初代藩主水野勝成(右)と福山7代藩主の阿部正弘(左)の甲冑が展示されておりテンション上がりますね。
福山城は大坂の陣の後に西の毛利などの諸大名の抑えとして1622年に築城されましたので築城は400年になるのですね。
駅の北口を出るといきなり見上げるような高い石垣が目を惹きます。駅に近いというかもともと城のあったところに線路を通してしまったということですね。
石垣はあまりきれいに揃ってはいなく痛みが出ているような印象です。
福山城の17世紀の姿が書かれていましたが10万石でかなり大きな城を作っていますね。現在地のやや下の内堀あたりを東海道本線(新幹線)が貫いていることになります。
JR福山駅のホームの目の前に石垣(内堀)が存在するのが良く分かります。赤い欄干が見えるのは月見櫓です。
幕末の日本を鎖国から開国に導いた阿部正弘の銅像が城を見守ります。
もっとも阿部正弘は老中首座でしたのでほとんど福山に戻る機会は無かったそうです。
筋鉄御門ですが伏見城から移築されたと説明されることが多いですね。
たいへん重くて丈夫そうな門に守られています。
筋鉄御門という名前の通り筋状に鉄板を打ち付けてあり防御能力を向上させています。
石段を登るといきなり正面に巨大な伏見櫓が現れます。櫓というのでもっと小さいものを想像していましたが巨大です。
その名の通り京都の伏見城から移築したと伝わります。
天守閣が5層6階の天守がそびえ立ちます。しかし本来の天守は空襲で焼失してしまい現在の天守は昭和41年(1966年)の秋に市制50周年事業として建てられたコンクリート製の天守です。
各階はテーマ別の博物館になって様々な展示を行っています。
初代藩主の水野勝成は徳川家康と従兄弟であるとのことで西日本の有力外様大名に対する抑えを任されたということでしょう。この前に福島正則が改易されていますのでその影響もあったでしょうか。
見晴らしの良い最上階は展望台になっており市街地を一望できます。
そうでした、日本の城郭100名城に認定されています。
なぜか最上階に畳の間が用意されていました。珍しいですね。
廻り縁のある最上階でした。
サクラダファミリアみたいな建物が目を惹きました。ネットで調べてみたらでしらべたらホーリーザイオンズパークセントヴァレンタインという施設だそうですね。ビックリしました。
飛び出ているのは湯殿です。
赤い廻り縁の付いた月見櫓です。駅のホームからもっともよく見える櫓です。
この月見櫓も伏見城の移築とも言われています。
鐘櫓です。
筋鉄御門を横から見上げてみたところです。
 
ということで100名城の福山城に登城することができました。いろいろネットで調べていましたら、福山城の復元に関して「復興に古写真等の資料が比較的多く残っていたにもかかわらず、史実よりも現代的な美観が優先されたことや建築基準法に従ったことなどから窓の形状や配置など多くの点が旧状と異なっていたために、第二次大戦で焼失したのち復興された天守の中で最も不正確な姿での再建となり、「復元」ではなく「復興」に分類されてしまった。」 ということです。