未知との遭遇!?

  ~ジュラ紀に迷い込んだ(?)話~

 

  それは、先週の週末のことでした。

  天気が良いので、ウォーキングをしようと近くの池のそばを歩いていた私。

  目を疑うような光景に出くわしてしまいました!

 

  わき道から出てきたのは、なんと!

 

 

  恐竜とサメが、仲良く歩いている! 

  (; ゚ ロ゚)ナン!

  ( ; ロ゚)゚ デス!!

  ( ; ロ)゚ ゚トー!!

 

 

  ちょっと離れたところから、もう一枚!

 

  気分は、まさにこんな感じ

            


  おれは今、ジュラ紀の光景を、ほんのちょっぴりだが体験した
  い…いや…体験したというよりはまったく理解を超えていたのだが……
         ,. -‐'''''""¨¨¨ヽ
         (.___,,,... -ァァフ|     あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
          |i i|    }! }} //|
         |l、{   j} /,,ィ//|  『おれは近所でウォーキングをしていると思ったら、
        i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ         いつのまにか、ジュラ紀にいた』
        |リ u' }  ,ノ _,!V,ハ |
       /´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人      な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
     /'   ヾ|| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ       おれも何をされたのかわからなかった…
    ,  / )ヽ iLレ  u' | | ヾlトハ〉
     |/_/  ハ !ニ⊇ '/:}  V:::::ヽ        頭がどうにかなりそうだった…
    // 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
   /'´r -―一ァ‐T´ '"´ /::::/-‐  \   見間違いだとか 白昼夢だとか
   / //   广¨´  /'   /:::::/´ ̄`ヽ ⌒ヽ  そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
  ノ ' /  ノ:::::`ー-、___/::::://       ヽ  }
_/` /:::::::::::::::::::::::::: ̄`ー-{:::...       イ  もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…

 

  

  題を付けてから気が付いたのですが、

  ティラノサウルスは、『中生代・白亜紀の末期』でした。

 

  あれ?

  映画『ジュラ〇ック・パーク』では、いつも美味しいところをもっていっているような気が?

 

  ( ^ω^)・・・・・・

  

 

  『高宮』から読み解く、関ケ原の戦い

  高宮

  昔は、中山道の宿場町で第2の規模を誇りました。
  また、『高宮上布』という麻織物の生産でも有名でした。
  高宮上布は、江戸時代には幕府の譜代筆頭とされる井伊家より将軍にも献上されていたそうです。
  なぜ高宮のことを知っているかというと、寺の関係です。




  高宮は、犬上川の東側(彦根川)にある町です。
  地理や歴史を見ていて、実はこの町が『日本の歴史の重大な出来事』に大きく関わっているのではないか、と考え始めました。

  その『出来事』とは、関ヶ原の乱!
  関ヶ原の乱の直前、ある大名が高宮に布陣していました。
  それと高宮の位置を合わせて考えれば、歴史の一面が見えてくる!
  ……、かも、しれない。

  以降、妄想全開(?)でお届けします!

  ぶっちゃけ版、日本と中国の仏教の需要についての一考察 ラスト

 

  前回からかなり時間が経ってしまいましたが、ラストの回をお届けします。

 

  中国では、仏教と一緒に入ってきた輪廻の思想が、仏教の需要に一役買っていました。

  日本では、仏教の成仏の思想仏教の需要に関わっていたと考えています。

 

  古来(今も?)、日本では不幸に死んだ人は怨霊になって災いをなすと考えられていました。

  悪いことが起きる ⇒怨霊のせいだ! ⇒まつる ⇒ 鎮まる ⇒良かった!

  でも、また台風が来たり、雷が落ちたり、病気が流行ったり、収穫が悪かったり……、その度に「また怨霊の仕業だ!」って感じで大騒ぎしていたら、どうなるか。

  いつまで、まつりを続ければよいのか?

  こんな物騒なものに、この世にいてもらっては非常に困ります。

  そんな中に入ってきたのが、仏教の成仏、そして中国で仏教と混ざった先祖崇拝、特に『追善供養』だと考えています。

  

  追善供養とは、亡くなった人に対する供養

  今では儀式化・定型化されていますけど、『亡くなった人』に対する、って部分がキモです。

  例えば、日本のお盆の根拠になっているとされる盂蘭盆経(うらぼんきょう)では、釈尊の高弟の母親が餓鬼道に落ちてしまい、供養を通じて母を助け出す姿が描かれています。

 

 ① 『怨霊』は、不幸な状況で亡くなった人が化けるもの。

 ② 『怨霊』、悪いことをするので、まつりで鎮めなければならない

 ③ 仏教で、死者を供養する方法があるらしいぞ

 ④ 仏教の目的は、『成仏』悟りを開いて執着を断ち切り、彼岸(あっち側)にいくらしい。

 ⑤ 仏になったら、たたらないンじゃないか?

 ⑦ これは、便利だ! 『怨霊』を供養したら、この世に戻ってこない!

  おまけに、仏になったら守ってくれるかも!

 

  こんな流れが、日本における仏教の需要の基盤になっているのではないでしょうか?

 

  政治は、「まつりごと」。特に古代では、政治と祭祀の結びつきは非常に強かったとされます(卑弥呼とか)。

  古代、僧侶は国家の役人で、学問と国家の鎮護を祈る(おそらく『怨霊』にも関わる)のが仕事でした。

  日本では、仏教と神道が混合し、日本の神が仏教の修行をするという意見もあります。

  これは、実は、『この世の神』を『彼岸に送る』という必要性があったのかもしれません。

  日本の神は、『Something Great(なんか、すごいヤツ)』であると言われますが、『怨霊』なども本質的には同じものではないでしょうか?

 

  日本人は、不安に関わる遺伝子が世界で一番多いという話もあります。

  死者を恐れてまつり続けるあり様に、そのあたりも関係しているのかもしれません。

 

  でも、死者を殺すことは不可能です。

  災害などがある度に、恐れ続け、まつり続ける。

  その中で、不安はどんどんと大きくなる

  仏教を通じて死者を『成仏』させ、あっち側に送ることで、『怨霊』システムの悪循環を断ち切ることが求められたのではないかと思います。

 

  中二病的には、『怨霊殺し』、『神殺し』、『死者の再殺』とでも言うべき?

  不安が生み出す悪循環からの解放、そのための『追善供養』と『成仏』。

  私は、日本における仏教の需要にこのような背景があったのではないかと考えています。

 

  聖書を読む限り、ユダヤ教・キリスト教のゴッドは、めちゃくちゃ祟ります。

  日本で信者が伸びないのも、この辺りが関係しているのかもしれません。