1579.11.02. 天正七年霜月二日敬白
宮崎県東臼杵郡美郷町北郷宇納間字西野々 路傍
安山岩製
西郷田代から耳川を渡って七㎞余り、和田峠を越えると、すぐ、旧北郷村の中心宇納間に入る。その入口が西野々で、坂の終わり、片側切り通しの斜面を背にして、数基の石造物が並べられている。もとは、旧道沿いに在ったものを、新道造成の際に現在地へ移したものという。
目的の板碑は、そのうちの向かって右から二番目のもので、直接土中埋込み式、基部をセメントで固めている。 碑の断面は長方形で、正面と両側面を磨いて、背面は荒仕上げのままにしている。上部は折れて失われているため、額部を作り出していたかどうかわからない。
正面に、
孝□
寶山玉泉禅定尼為也
□ カ ラ バ ア
天正七年霜月二日敬白と彫られている。 中央の梵字は、上部を欠失しているため、上一字キャを欠いているが、五輪塔東方発心門の種子で、筆書きで小さく薬研彫りにあらわす。その左右に刻まれた文字は、欠失の一字をのぞいて、肉眼でも明瞭に読み取れる。この銘によれば、寶山玉泉禅定尼のために、その孝子(きょうし)が桃山時代の初め天正七(一五七九)年霜月(陰暦十一月)二日に本碑を造立供養したものと思われる。天正七年は、梵字の書体によく合っている。
庚申塔
一八五二 嘉永五年
安山岩製
板碑の向かって右側の自然石塔婆。調査はできていないので、簡単に記す。
嘉永五
奉待庚申□
小石仏三体
江戸時代後期か
向かって右の二体は、馬頭観音、左は聖観音と思われる。三体ともよく似た形像で、同じ石工作で製作の時期も近いと思われる。





庚申塔





実は、西野々へは「日向の金石文」に記載されている永禄□年銘板碑の調査に来たのだが、偶然目に触れた、天正七年銘板碑を調査することになったものである。永禄板碑は、捜したが見つからなかった。後で、同村の郷土史研究家園田進氏に村内の文化財についてご教示をいただいた折に、永禄板碑の所在を伺ってみたが、わからないとのことであった。
なお、「日向の金石文」P.63,№221の項には
名称 板碑
所在地 東臼杵郡北郷村宇納間西野々
(月輪内)キリク キャ カ ラ バ ア
永禄□年十一月
高サ三尺二寸三分、巾一尺四分、額高サ三寸五分九圓相徑三寸二分、凹ミ二分。
とある。(一九七八年五月一日調査)
参考文献;宮崎縣史蹟名勝天然記念物調査報告12『日向の金石文』(宮崎県、1942.02.)
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