鎌倉時代末期
奈良県大和郡山市洞泉寺町15
花崗岩製
洞泉寺は、浄土宗知恩院末。元三河から天正九年(1581)に長安寺村に移り、それを豊臣秀長が天正十三年(1585)郡山城内に移した。その後、享保四年(1719)に洞泉寺町に移して現在に至る。国重要文化財本尊木造阿弥陀如来及び両脇侍立像(快慶様式 鎌倉時代)で知られている。
「垢かき湯舟」の伝承がある水船は、本堂と庫裏を繋ぐ中庭に置かれている。
全長;2.55センチ
幅;1.32 高;85.0
大きな花崗岩を、長方形に近く加工し、一定厚の縁で囲んで、内部をくり抜く。外面は、上部5分の3ほど仕上げ加工し、下部は粗仕上げのままにして、削り残す。
湯舟の内側四方に(東)「ウーン」(南)「タラーク」(西)「キリーク」(北)「アク」の金剛界四仏を薬研彫りする。この四仏の方位で見ると、東西を長く、南北の幅を狭くして、東南西三方を同厚の縁で隅を丸面取した長方形に囲む。北側は船尾のように上に広く斜めに加工して、湯(水)を受けて流すための段を設け、槽に被る庇のように出し、湯(水)を流し込むためと思われる丸穴を加工する。この棚には、同寺に残る箱形の地蔵石仏龕が置かれていたと伝わる。
水船は、遺存数、紀年銘のあるものが少なく、形の比較による時代推定が難しいが、この梵字彫刻から、鎌倉時代のものと推定されている。
参考文献;『史迹美術同攷会第1044回例会資料 大和郡山市 城趾と城下町の文化財を訪ねる』(史迹美術同攷会、H.29.12.10.)
H.29.12.10.撮影




